神経症を治す掲示板第二  書き込み自由


カテゴリ:[ 健康/医療/介護 ] キーワード: 神経症 森田療法 対人恐怖


601件の内、新着の記事から50件ずつ表示します。


[598] おはようございます

投稿者: 真美香 投稿日:2018年 5月19日(土)06時13分53秒   通報   返信・引用

みんな起きようね朝だよ



[597] 無 さんへ

投稿者: 猫仙人 投稿日:2018年 5月19日(土)03時32分21秒   通報   返信・引用

>ただ、私の考えでは、対人も非対人も強迫観念という点では違いはなく、
>全ての強迫観念は、他力の不思議な力によって消え去ると思っているので、
>無の雑用に専念することによって、対人系の神経症の治癒も可能だと私は考えてます。

無さんは実際に対人恐怖が消え去った体験をされたのですか?



[596] ネットにある神経症が治ったとする人の情報発信について

投稿者: 投稿日:2018年 5月19日(土)01時39分23秒   通報   返信・引用

情報発信をするという事自体、その人の中の神経症気質は残っているという事であり、これは、管理人さんが言うところの、神経症脳には完治根治はないという事であり、HNさんが言うところの、人の中の雑念というものは消え去ることはない、という事を意味している。
実際、あなた方には理解できないとは思いますが、神経症脳には完治根治はあるし、人の中の雑念も完全に消え去る事が出来る。
こうなると、情報発信などはしなくなります。
自分の中から、過去(未来)の囚われが消え去るからです。
ですから、情報発信者側と情報受信者側は、真に対等な立場にいます。
神経症についてお互いに学びあっている関係です。
自身の経験を人の為にいかそうとする行為は、自分が経験してきた事の経験のシェアであり、自分自身の為に行っている行為です。
経験のシェアをするという事は、自分はまだまだ過去に囚われた状態である事を意味します。
これがわかっていない場合、人は傲慢になる為、以前に掲示板が荒れる事になりました。
自身の我の投影です。
自分が他人の為に行う行為は、全て自分自身の為に行っているという事を自覚するべきです。



[595] Re: [593] youさんへ

投稿者: 投稿日:2018年 5月18日(金)22時38分54秒   通報   返信・引用

> 先生のおかげで「対人恐怖は仏教を学び続けることによって治るはずだ」という確信を与えて頂いたことに

そうなんですよね。森田療法には確信が足りないんですよね。
確信もなければ、慰めも励ましもありません。
森田療法では、それを実践出来ない落ちこぼれは、絶望的な苦しみに苛まれます。

でも、仏教の学びにおいては、苦しみの中に慰めがあり、安らぎがあると感じております。

なにしろ、救われる(救われている)という確信が持てることがありがたいと思ってます。

> 無さんが神経症の人達を指導する立場におられるのなら、

いえいえ、そんな立場にはありません。まだまだ学びの途上の人間でございます。



[594] (無題)

投稿者: 猫仙人 投稿日:2018年 5月18日(金)21時36分8秒   通報   返信・引用

>森田正馬先生も鈴木知準先生も宇佐先生(親子)も対人恐怖の経験はないようです。
>皆さん不安神経症や非対人の強迫観念に悩まれた方々でした。

これは森田を学び始めた初期の頃に感じていました。



[593] Re: [590] 無さんへ

投稿者: you 投稿日:2018年 5月18日(金)21時24分29秒   通報   返信・引用

>youさんの実体験でしょうから、

そうです。私の実体験なのです。
私は森田療法の作業(雑用)に打ち込む生活によって確認癖などの(対人恐怖とは関係のない)幾つかの
強迫観念は治ったのですが、対人恐怖は治りませんでした。対人恐怖は仏教の「無我」の教えがわかること
によって初めて消えて行きました。

考えてみると、森田正馬先生も鈴木知準先生も宇佐先生(親子)も対人恐怖の経験はないようです。
皆さん不安神経症や非対人の強迫観念に悩まれた方々でした。ですから、「作業(動き)に打ち込むこと
によって(一般の強迫観念だけではなく)対人恐怖も治るに違いない」という推測のもとで治療を行なって
いた面が大きいと思うのです。
ところが、重症の対人恐怖を経験された水谷先生だけは患者の人間観(人生観)を変えることに指導の重点
を置かれていました。(晩年になるほどその傾向が強かったと思います。)
ご自身の体験と日々指導している患者たちの観察から、対人恐怖は「作業に専念する」とか「治そうとする
気持ちを忘れる」とかの考え方だけでは治らないことを強く感じておられたからだと思います。

私は水谷先生の最晩年に指導を受けた者ですが(先生は私が入院中に脳出血で亡くなられました)、
先生のおかげで「対人恐怖は仏教を学び続けることによって治るはずだ」という確信を与えて頂いたことに
深く感謝しているのです。

>無の雑用に専念することによって、対人系の神経症の治癒も可能だと私は考えてます。

効果がないとは私も思いませんが、その効果は非常に淡いものだと思います。
無さんが神経症の人達を指導する立場におられるのなら、重症の対人恐怖の人達(特に視線恐怖の人達など)
がその考え方で本当に治るのかどうかを実証されることをお勧めしたいと思います。



[592] 英語での面接

投稿者: 管理人 投稿日:2018年 5月18日(金)20時09分58秒   通報   返信・引用

神経症者にも英語をモノにしたい人がいるでしょう。
今日フィリピン人と話していて、彼らが仕事の面接で英語の実力を知る場合、日本だったら
TOEIC何点でと言うのに、彼女は表情一つ変えないで、面接官と英語で話しますと
言った。この回答を私は長い事待っていた。英語の実力を見る簡単で確実な方法は、面接官が
リクルーターに直接英語で話しかけるのです。

英語の実力のある人は、きれいな発音で適切な単語を使いながらさらっと答える。
この会話から、英語の実力ばかりでなく、その人の教育程度、知的到達度、仕事の取組み方
等が透けて見えて来る。

フィリピンと言ったら全員が英語を話すと思ったら大間違いで、タクシー運転手の多くが、
やっと話せる程度であるので、仕事の面接官にとって、特にアメリカのアウトソーシング
の仕事では人の英語の程度を査定するのは重要な役割です。それがTOEIC何点何て言わないで、
単に仕事を求める人に話すと言うからこれで納得です。

日本は直ぐTOEICと言う。実はTOEICは英語の一部だけに照準を合わせ、
しかも言語を停止させた状態で紙に書かせるテストであるから、実際の英語の場面とは違い過ぎて
英語力を知るには最悪なやり方なのです。言葉は言葉で実力を見るが当たりまえで、それを
外国ではやっている。



[591] わたしの神経症について

投稿者: 投稿日:2018年 5月18日(金)19時26分48秒   通報   返信・引用

わたしの神経症は、これから神経症者の為に情報発信する人に対してわたしが情報発信する事で、掲示板から対立意識を消して場を浄化するというのが、わたしの神経症としての役割です。
人にはそれぞれに役割があり、無駄な人はいません。
生きている全てが修行みたいなものですからね。
とにかく、情報発信というものは、人に大きな影響を与える。
情報発信という、人の考え方を左右するものというのは、軽々しく扱うものではない。
人は、価値観や考え方次第で、人生が大きく変わっていくものです。
ですから、HNさんなども、自分の情報に対して本当に確信があるのであれば、下記に書いたように、見返りを求めない情報発信をして頂きたいなあと思います。
相手に対して見返りを求める意識が、人との対立を生み、神経症者の足を引っ張る事になります。

わたしの情報発信は神経症の間だけであり、わたし自身は今後は神経症の事を考えることもなくなる為、わたしは情報発信などはしないので、ネットは完全に卒業します。



[590] Re: [587] youさんへ

投稿者: 投稿日:2018年 5月18日(金)17時45分39秒   通報   返信・引用

> 非対人系の強迫観念の場合は、家の中で何も考えないで「雑用」に身をまかせることは直接に治癒に
> つながりますが、大勢の聴衆の前で話をすることを恐怖している対人恐怖のような人の場合は、家の
> 中で雑用に身をまかせていても症状には何の影響もないと言ってよいでしょう。


確かに、この点に関して、私とyouさんの間に見解の相違があるみたいですね。

youさんが仰っていることは、youさんの実体験でしょうから、それは本当のことなのだと思います。

ただ、私の考えでは、対人も非対人も強迫観念という点では違いはなく、
全ての強迫観念は、他力の不思議な力によって消え去ると思っているので、
無の雑用に専念することによって、対人系の神経症の治癒も可能だと私は考えてます。

もちろん、youさんが仰るように、仏教を学ぶことを中心に神経症を克服することも可能と申しますか、
仏教を真剣に学ぶことは確実に治癒への道に導かれるのではないでしょうか。

仏教の学びは裏切らない、そう思っております。

> 「自我に実体がある」と思っている状態では、「治そうとする一切の治療行為を停止する」ことは根本的
> に不可能でしょう。


仰る通りだと思います。
ただ、だからこその雑用なのではないかとも私は思うのです。

ご紹介いただいたネルケ無方さんの動画の中にもありましたが、
法華経の長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の喩えが、感動的に秀逸だと思うのです。
https://blogs.yahoo.co.jp/ikiru_yoridokoro/12234558.html?__ysp=6ZW36ICF56qu5a2Q

この話の中で、仏である長者は、自分が本当は仏の息子であることを知らない男に、最初は便所掃除やごみ拾いの仕事をさせます。つまりは雑用に専念させます。
面白いのは、 仏である長者も一緒に雑用をしているところです。
これは、雑用はただの雑用ではなく、仏の仕事だということではないのかと思うのです。
(もしくは、無(仏)に導かれての雑用)
そして、雑用がきちんとできるようになって初めて、もっと重要な仕事を任せます。
この喩えを聞いて、まさに無為療法だなと思いました。
雑用には貧弱な自我意識を弱める効果があるということ、悟りへのステップの最初の段階として、雑用が有効だということを、この長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の喩えは示唆しているような気がしています。

そして、仏の導きは、人が、その時その時、その時点において、すんなりと受け入れることが出来るレベルに合わせて導くところにも感動いたします。


> 仏教というものは学ばなければ身に付きません。私の師匠は「熏習、薫習(くんじゅう)」ということの
> 重要性を強調されていました。これは、悟った人(救われた人)の話を理解できなくても聞き続けること
> を意味します。それを続けている間に、気が付かないうちに少しずつ意識に変容が起こって行って、ある時
> にパッとわかるようになるものです。ですから、学ぶこと考えることは大切だと思うのです。

私も同じように思っております。



[589] 管理人さんへ

投稿者: 投稿日:2018年 5月18日(金)11時02分1秒   通報   返信・引用

人は、見返りを求めない人間に対しては、争いを仕掛けてこない。
これを愛と言う。
ですから、あなたへの反感は、あなた自身がひきよせているものです。

以上。



[588] HNさんへ

投稿者: 投稿日:2018年 5月18日(金)09時50分3秒   通報   返信・引用

下に書かれている方の中に、「熏習、薫習(くんじゅう)」というものがありますが、掲示板で人に対する時にこの在り方を徹底されたら良いと思います。
これは、完全一方通行を貫いてこそ効果を現します。
見返り無用の世界であり、ある意味、相互間会話が無用の世界です。
わたしが、掲示板の荒らしに対して向き合ってきた向き合い方です。
相手が理解しようがしまいが、そこをもんだいにはしません。
わかる時にはわかるものです。


では^ ^



[587] Re: [585] 無さんへ

投稿者: you 投稿日:2018年 5月18日(金)07時53分51秒   通報   返信・引用

>動画の中で言われている「他力」こそが宗教の本質なのではないかと私は考えております。

それは私も全く同感です。

>無為療法においても、斎藤先生は、
>「動きの前に、自分で自分を治そうとする一切の治療行為の停止が大事」と言われておりますが、

そこは私の考えと違うところですね。

非対人系の強迫観念の場合は、家の中で何も考えないで「雑用」に身をまかせることは直接に治癒に
つながりますが、大勢の聴衆の前で話をすることを恐怖している対人恐怖のような人の場合は、家の
中で雑用に身をまかせていても症状には何の影響もないと言ってよいでしょう。人前で震える状態を
治そうとすることを停止できるのなら対人恐怖などは簡単に治っているでしょう。

「自我に実体がある」と思っている状態では、「治そうとする一切の治療行為を停止する」ことは根本的
に不可能でしょう。仏教では「無」を説きますが、その根本は「無我」です。これは「自我(自分)という
ものには固定した(個人的)実体はないという洞察」で、この洞察を体験として理解できるようになれば
「自我意識」は急激に希薄になるので対人恐怖などは起こりようがなくなります。雑用に精を出す必要など
もない訳です。「自我意識」がなくなってしまう必要はありません。ただ、「個人的自我に実体はない」
ということが一度でも体験的にわかれば神経症は消えて行きます。

ですから、仏教などをを学ぶことを否定して「ただ動きに身を任せる」ことを勧めるのは、少なくとも
対人恐怖の人にはほとんど役に立たないと言ってよいと思います。
仏教というものは学ばなければ身に付きません。私の師匠は「熏習、薫習(くんじゅう)」ということの
重要性を強調されていました。これは、悟った人(救われた人)の話を理解できなくても聞き続けること
を意味します。それを続けている間に、気が付かないうちに少しずつ意識に変容が起こって行って、ある時
にパッとわかるようになるものです。ですから、学ぶこと考えることは大切だと思うのです。



[586] Re: [584] 猫仙人さんへ

投稿者: you 投稿日:2018年 5月18日(金)07時47分11秒   通報   返信・引用

Re: [584]  猫仙人さんへ

そうですね。ただ、水谷啓二先生も仏教との関わりが非常に深まったのは晩年のようですから、
水谷先生の著書でも仏教について触れられていないものもあると思います。
機関紙だった「生活の発見」も水谷先生の晩年のものには稲津紀三師のような仏教界の大御所の寄稿
もあり、晩年に発行されたものの方が内容が深いようです。

私も治ってからは2chのいろいろなスレで暇を見て仏教を学ぶことを勧めていますが、オウム真理教の
ようなインチキ仏教のせいで仏教や宗教一般に対して不信感を持っている人も多く、「仏教の教えを
学べば対人恐怖・社交不安障害は治りますよ」」と言ってもなかなか信じてもらうことが難しくて
残念に思うことが多いです。
(最近流行しているマインドフルネスの源は禅ですから、マインドフルネスから入って最終的に禅仏教
の世界に目覚めてもらうのがよいかも知れません。)



[585] Re: [575] youさんへ

投稿者: 投稿日:2018年 5月18日(金)05時59分16秒   通報   返信・引用

動画拝見いたしました。
前半後半合わせて2時間以上の長い動画でしたが、
ユーモアたっぷりのネルケ無方さんの語りが面白く、最初から最後まで楽しく見ることが出来ました。

動画の中で言われている「他力」こそが宗教の本質なのではないかと私は考えております。

無為療法においても、斎藤先生は、
「動きの前に、自分で自分を治そうとする一切の治療行為の停止が大事」と言われておりますが、私も同感です。

自分による一切の治療行為を停止することで、仏の方より行われる他力が発動し、その他力に身を任せた姿の現われが雑用であり動きなのだと私は理解しています。

そういう意味において、雑用(動き)とは二義的なものだと考えております。



[584] (無題)

投稿者: 猫仙人 投稿日:2018年 5月17日(木)23時21分25秒   通報   返信・引用

水谷啓二先生の時代は対人恐怖と言ったが今は社交不安というらしいです。
その大掲示板がこちら。こちらの方達にも鈴木知準先生や森田先生だけではなく
対人恐怖を克服した水谷先生の仏教観とご著書をお知らせできればいいのですが。

https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/utu/1524940413/



[583] 続きです

投稿者: 投稿日:2018年 5月17日(木)16時05分33秒   通報   返信・引用

つまりあなたは、神経症者を馬鹿にしているのではなく、過去のあなた自身を馬鹿にしているに過ぎない。
人と対立を起こす意識というのは、相手は他人であって自分自身だという事です。
相手自身の本当の姿など、あなたには全く見えていない。
先入観は、現実を自分の都合がいいように見せるものです。
最終的には、先入観が自分を苦しめます。


では本当に長い事お世話になりました。



[582] 最後に管理人さんに対してもう一言書いておきます

投稿者: 投稿日:2018年 5月17日(木)15時35分49秒   通報   返信・引用

管理人さんは、神経症時代のあなたは、よほど人から愛されない、人から信用されない自分だったのでしょう。
これを全ての神経症者に当てはめるには無理がある。
何事にも、正反対の世界が存在する。



[581] 結果は戻ってきます

投稿者: 投稿日:2018年 5月17日(木)14時20分54秒   通報   返信・引用

ここに書く人がいなくなれば、管理人さん自身が寂しくなるだけであるにも関わらず、まだまだ人を馬鹿にすることしか出来ない。
今は人が寄り付いていますが、こんな状態、いつまでも続く事はありませんからね。
あなたは、今まで、いかに神経症者に依存して支えられてきたかという事を、いつか知る事になるでしょう。
孤独というものは、自らが作り出しているものです。
人は、自業自得を身をもって身にしみて自覚する事でしか、変化は出来ません。



[580] 管理人さんとHNさんへ

投稿者: 投稿日:2018年 5月17日(木)12時26分4秒   通報   返信・引用

神経症脳というのは、自分を正当化しようとする、人との対立意識の現れです。
ですから、自分の中から対立意識が消え去らない限り、神経症脳が治ることはありません。
HNさんが言われる、人の中の雑念は消えることはない、というのは、管理人さんが言われる、神経症脳には完治根治は存在しないと言うのと同じことです。
管理人さんが、神経症脳には完治根治はないと言われるのは、あなたの中の対立意識が消え去っていないからであり、神経症脳には完治根治は存在します。
そしてHNさんが言われる、人の中の雑念は消えることはないというのも、雑念が消え去る境地は存在します。
この境地を生きるようになると、人と争う現実が、自分の目の前から消えます。
意識は1つに繋がっておりますので、自分の現実は自分自身の映し鏡です。


長らくお世話になりましたが、ではお元気で。



[579] 最後に

投稿者: 投稿日:2018年 5月17日(木)10時44分26秒   通報   返信・引用

みんな、自分を正当化しようとする言葉が多すぎる!
これが相手の足を引っ張っている。
これが我だ。



[578] ガタガタ言わずに動け!

投稿者: 投稿日:2018年 5月17日(木)10時15分4秒   通報   返信・引用

これは、人にいちいち弁解せずに動け!だ。
自分をわかってもらう為にする議論は、動きというよりも生活を妨げる事になるから、相手への承認欲求を捨てて生活しろという事だ。
人とわかり合うことは大事でも、自分の我を押し通したいが為の議論は相手の足を引っ張るだけだ。
相手への承認欲求というものが、無駄な言葉を吐かせる。
言葉のない世界を生きるというのは、弁解無用という意味です。



[577] つづき(むらじさん)

投稿者: 投稿日:2018年 5月17日(木)09時30分5秒   通報   返信・引用

無為療法の真髄。

時と場合や相手との関係性にもよりますが、基本的には弁解せずに生活をする。
他人への承認欲求を捨てれば争いになりません。



[576] むらじさんへ

投稿者: 投稿日:2018年 5月17日(木)09時17分52秒   通報   返信・引用

余計なお世話かとも思いますが、本当に無為療法を支持しているのであれば、あなたの書き込みは逆効果しか生んでません。
あなたが書く事により、無為療法の宗教色が強くなる。
あなた自身がどう思っていようが、他人から見ると、あなたは管理人さんの信者にしか見えません。
無為療法を本当に理解して実践する人は掲示板には残りませんよ。
ですから、あなたからの言葉は、他人から見ると、治っていない人からの言葉にしか映っていません。
管理人さんとむらじさんを同一人物の書き込みとして見ている人もいますし、あなたが何を言おうと、弁解しようと何しようと、あなたの存在自身が、無為療法を宗教化している要因にしかなっていない。
美香さんもそうでしたが、無為療法を支持する人は、最終的に、掲示板では管理人さんと見分けがつかなくなる。
ですから、あなた方が、無為療法を支持すればするほど、管理人さんがなりすましで書いているようにしか見えなくなり、あなた方の存在が、無為療法の足を引っ張る事になっています。
管理人さん含め、無為療法支持者は、自分自身を客観的に見れない人たちのようです。

わたしに返信はやめてください。
これでネットは完全に卒業します。
ここで返事をよこすなら、あなたは無為療法をわかっていない。



[575] Re: [574] 無さんへ

投稿者: you 投稿日:2018年 5月16日(水)20時38分12秒   通報   返信・引用

無さんも基本的に私と同じ考え方を持たれているということですね。

[571]でも紹介しましたが、ネルケ無方というドイツ人の禅僧は非常に優れた人で、
禅・仏教を学んでいる多くの日本人にも為になることを沢山話しているようです。

(前半)https://www.youtube.com/watch?v=EHcv3cZiNMs

(後半)https://www.youtube.com/watch?v=sWAMax11lU0



[574] Re: [565] youさんへ

投稿者: 投稿日:2018年 5月16日(水)17時12分27秒   通報   返信・引用

> 無さんも斎藤氏と同じように、無意識は無条件に「良いもの」と考えられておられるのでしょうか?

いえ、個人的にはそのような考えは持っておりません。
無意識に関しては、youさんと同じ意見です。

ただ、斎藤先生は、無意識という言葉を、鈴木大拙博士が言われる「無心」と同じような意味合いで使われているようなので、
私もそれに沿うような形で、無意識という言葉を使わせていただきました。

ちなみに、鈴木大拙博士は、無心についてこのように語っております。

「為されるがままころころ転がっていく石ころのように、万事滞りなく出来ること」


> 水谷啓二先生の「仏教的人間観」の根本は「人は本来一つの意識体であって、各個人がバラバラに
> 存在しているのではない=平等感」というものでした。(これがさらに深くなると、人だけではなく
> 他の動物や植物とも一体の感覚が生まれて宗教体験につながるというものです。)
> これは「無意識の領域」ではなく、はっきりと自覚できる「意識=平等意識」の世界の話として
> とらえる方が適切だと思うのです。


youさんの仰っている通りかと思います。


> 鈴木知準氏のような「今」と「動き」を重視する考え方では非対人系の強迫観念は治っても
> 対人恐怖は治りにくいものですが、私は水谷先生とご縁があったことによって仏教を学ぶように
> なり、そのおかげで対人恐怖は霧が晴れるように消えて行きました。

斎藤先生は、「動き」によって引き起こされる無心の状態(無意識状態)に対する信心がとても篤いお方のようです。
そういう方であれば、神経症の症状の種類に関わらず、「動き」によって治癒へと導かれることは可能なのではないかと私は思っております。

ただ、その治りが「動き」によって為されたと思い込んでしまうと、間違った方向へと導かれてしまうのではないかと思っております。

喩えて言えば、「動き」は電気のスイッチで、「無」は電気の明かりです。

スイッチを押すことで、(無明の闇を照らす)明かりを灯すことは出来ますが、スイッチ自体は明かりではありません。
神経症の治癒能力があるのは明かりであって、スイッチではありません。
スイッチと明かりを混同してしまうと、いくらスイッチを押しても明かりは灯らないのではないかと思います。


> (私は、重症の対人恐怖に苦しんでいる人には是非仏教を学んで欲しいと思っています。)

私も同じ意見です。
日常生活での雑用は進んでしたほうが良いとは言っても、ずっと動き続けるというのは、なかなか難しいのではないかと思いますし、
仏教を学ぶこと自体が喜びに満ちていると思うので、学ばないというのは、軽症、重症にかかわらず、とてももったいないことだと思います。

それに、動きで治ってしまった場合、仏教の主眼である自他の対立を乗り越えるところまで進んでいかないケースが多いような気がします。



[573] 人生の価値

投稿者: 投稿日:2018年 5月16日(水)10時06分40秒   通報   返信・引用

人の人生の価値は他人が決めることじゃない。
だから、同情で救われるのは幻想です。
幻想を生きるから人が争う。

人はみんな対等です。



[572] 人間みんな例外なく生きている事そのものが修行と同じ

投稿者: 投稿日:2018年 5月16日(水)09時34分43秒   通報   返信・引用

その中で、世の中は仏教だなんだとカテゴリーを設けていますが、人間誰しも学んでいることは1つです。
管理人さんの寄生虫のむらじさん。
あなた、わたしに話しかけて意味あるんだろうか。
まあいいです。

では以上です。



[571] 無題

投稿者: you 投稿日:2018年 5月16日(水)06時23分45秒   通報   返信・引用

以下のサイトも素晴らしいです。

https://www.youtube.com/watch?v=EHcv3cZiNMs



[570] (無題)

投稿者: 猫仙人 投稿日:2018年 5月16日(水)02時59分36秒   通報   返信・引用

>私は水谷先生とご縁があったことによって仏教を学ぶように
>なり、そのおかげで対人恐怖は霧が晴れるように消えて行きました。

同じように仏教で雑談恐怖(対人恐怖)を治した方がおられます。

https://www.youtube.com/watch?v=2PiAj5D4OXo



[569] さようなら

投稿者: 投稿日:2018年 5月16日(水)02時12分28秒   通報   返信・引用

人はそれぞれ、自分が理解できる世界で生きればいい。
違う世界に生きる人を馬鹿にする必要はない。



[568] そりゃそうです

投稿者: 投稿日:2018年 5月16日(水)02時05分23秒   通報   返信・引用

煩悩がある人ほどにわたしの話は理解できない。
だから基本的にはわたしはここの管理人さんとHNさんに対してきただけです。
けど、ここまできて無理ならもう無理ですからこれで終わりです。
あとはどうぞ狂いとして片づけてください。



[567] 全く意味が分からない

投稿者: likehell 投稿日:2018年 5月16日(水)01時29分8秒   通報   返信・引用

狂っているとしか言いようがない。



[566] 人の無意識の行動に潜む煩悩

投稿者: 投稿日:2018年 5月15日(火)23時29分41秒   通報   返信・引用

身体の条件反射の行動には、その人の煩悩が反映されている。
ですから神経症者は身体の無意識の行動にストップをかける事をする。
それによって起こる苦しみにより、身体に染み付いた煩悩が死滅していく事になるからです。
完全に死滅させるには、自身の中で意識改革も必要になる為、無条件に無意識を支持するわけにはいかない。
ですから、神経症者の苦しみも無駄なものではない。
身体に染み付いている煩悩が消えてくると、他人との対立が起こらなくなります。



[565] Re: [563] 無さんへ

投稿者: you 投稿日:2018年 5月15日(火)21時35分51秒   通報   返信・引用

>無意識が発動されていさえすれば、

無さんも斎藤氏と同じように、無意識は無条件に「良いもの」と考えられておられるのでしょうか?
「深層心理学」や仏教の「唯識」でも明らかにされているように、無意識は時としてトンデモナイ
ことをしでかしてくれる側面を持っています。
無意識には怒りなどの煩悩の種子がたくさん眠っていて、本人が意識していなくてもその人の生活を
背後から支配しています。
ですから、「無意識にまかせておけば大丈夫」という考え方は危険な面をはらんでいるようです。

水谷啓二先生の「仏教的人間観」の根本は「人は本来一つの意識体であって、各個人がバラバラに
存在しているのではない=平等感」というものでした。(これがさらに深くなると、人だけではなく
他の動物や植物とも一体の感覚が生まれて宗教体験につながるというものです。)
これは「無意識の領域」ではなく、はっきりと自覚できる「意識=平等意識」の世界の話として
とらえる方が適切だと思うのです。

鈴木知準氏のような「今」と「動き」を重視する考え方では非対人系の強迫観念は治っても
対人恐怖は治りにくいものですが、私は水谷先生とご縁があったことによって仏教を学ぶように
なり、そのおかげで対人恐怖は霧が晴れるように消えて行きました。
(私は、重症の対人恐怖に苦しんでいる人には是非仏教を学んで欲しいと思っています。)



[564] 管理人さんとHNさんへ

投稿者: 投稿日:2018年 5月15日(火)21時20分44秒   通報   返信・引用

神経症の完治根治について下記に書きましたが、管理人さんにはまだまだ知らない世界があるだけです。
人の中の雑念も完全に消え去る境地が存在する。
人への対立意識が消え去った経験をした事がないあなた方には理解できないだけです。
まあ、人は、自分の経験が全てと思うものですから、それはそれで良いのだけど、他人と自分が違うからといって他人を馬鹿にするような事だけはやめて頂きたいですね。
他人から反感買えば、それだけ自分の足が引っ張られる事になるだけです。

では、気持ちを新たに掲示板始められる事を願っています。



[563] Re: [537] youさん

投稿者: 投稿日:2018年 5月15日(火)20時56分19秒   通報   返信・引用

> 私は全く別の考え方(主として水谷啓二先生の考え方)によって治りましたから、
> 「動き」によって治るという考え方は支持していないのです。

同感です。動きそれ自体には神経症を治癒する能力はないと思ってます。
動きは無への呼び水になるだけであり(HNさんの言葉を借りれば、「言葉のない世界に入る」)、
無こそが神経症を治癒する能力があると思ってます。

動きそれ自体に価値を置くと、動きが不自然になりますが、
動きそれ自体に価値を置かなくなれば、斎藤先生の言葉を借りれば、無意識が発動し、自然な動きが内から湧いてくるようになるのだと思います。

それゆえに、
無意識が発動されていさえすれば、youさんが最初におっしゃっておられたように、何もしなくても安穏とした気分で日暮らしをすることが出来るようになるのだと思います。



[562] 神経症の完治根治について

投稿者: 投稿日:2018年 5月15日(火)20時50分2秒   通報   返信・引用

わたしの個人的な意見として、これを最後に書いておきます。
神経症の完治根治は存在する。
自分の中にある、人への対立意識が完全に消え去れば、神経症脳は完全になくなります。
神経症脳というのは、その人の在り方の問題であり、脳の問題ではない。
だから人の中の意識改革が大事なのです。
脳の問題にして解決を図るというのは、ただの諦めです。
考え方は人それぞれでいいので、わたしの考え方はこうだというだけであり、押し付けるものではありません。
情報発信者というのは、人には色んな視点があるというのを自覚するべきですね。



[561] 海さんへ

投稿者: さくら 投稿日:2018年 5月15日(火)20時14分24秒   通報   返信・引用

いい加減、消えれば?



[560] ワケあり生活

投稿者: スター 投稿日:2018年 5月15日(火)20時07分18秒   通報   返信・引用

規則正しい生活、食事をしないで健康な筈がない。穏やかに就寝、栄養効果のある日本料理。それもしないで、大酒、コンビニ弁当、菓子食べ放題で理屈意思で語るから変な方向に進むと思う。
密接に関係している事を理解する事から始める。



[559] しょうがない、最後に書いてやる

投稿者: 投稿日:2018年 5月15日(火)19時46分9秒   通報   返信・引用

新たな寄生虫へ

自分の正しさ証明するために他人を巻き込むのはやめな。
あとはどうぞご自由に。



[558] HNさんへ

投稿者: 投稿日:2018年 5月15日(火)19時33分53秒   通報   返信・引用

返信はやめて頂きたいのですが、下記に書いたこと、HNさんには伝わればいいなと思っています。
伝わらなくても仕方ないですが、HNさんに伝われば、ある意味、今までの全ての収集がつく状態になる。
わたしの話が誰かに伝わるのであれば、ここでは多分HNさんかここの管理人さんしかいない。
あなた方が神経症者の為の掲示板をこれからもやっていくためにわたしは長居してきた気がします。
掲示板を潰すためにいたわけではなく、今後に新たな形で始められるように、わたしは荒らしを、わたしの書き込みで津波を起こして流してきた。

ほんとに長い間ありがとうございました。



[557] Re: [556]

投稿者: you 投稿日:2018年 5月15日(火)19時31分42秒   通報   返信・引用

>どちらかが負けなければならなくなる。

両者とも本当に治っているなら勝ち負けはありません。
人間性の多様性を両者が認識することになるでしょう。

治っていない人だけが「勝ち負け」にこだわるようです。
治っている人同士が議論すればお互いに学ぶことがあるものです。

神経症の問題は「治るか、治らないか」が決定的に重要です。
どんなに立派な理論のように思えても、治らなければ患者にとっては
ゴミのようなものです。
海さんも、斎藤さんを責めることよりも治ることが先決ですね。



[556] 議論について

投稿者: 投稿日:2018年 5月15日(火)19時05分18秒   通報   返信・引用

相手の足りない部分は、相手との相互間会話の議論では補えない。
議論で導き出せる答えには正邪がともなう。
どちらかが負けなければならなくなる。
だから、一方通行で見返りを求めなくなってこそですね。
ネットにたくさんあるような神経症サイトは実績を掲げて相手を信用させようとするが、これが堂々巡りを生み出す。

管理人さんもいい加減に目を覚ましてくださいね。
ほんとに完結します。



[555] (無題)

投稿者: 投稿日:2018年 5月15日(火)18時36分36秒   通報   返信・引用

あとは他の人に相手にしてもらえ。
かわいそうに。
↓↓↓



[554] Re: [552] [553]

投稿者: you 投稿日:2018年 5月15日(火)18時27分27秒   通報   返信・引用

ぐるぐる思考をしているのは海さんだけですよ。
海さんの神経症が治っていないことの表れなのです。
(治っていないことは自分でよくわかっているはずです。)

斎藤さんについて「敵にまわす」と思うのも治っていない人が持つ感覚です。
自分が治っていないから、斎藤さんや他の人の考え方に反感を覚えてしまうのです。
治っていれば反感を感じるのでなく、斎藤さんの考え方の足りない部分がわかり、
その点についての議論を始めようとするはずですね。



[553] 論争大好きな人へ

投稿者: 投稿日:2018年 5月15日(火)17時33分45秒   通報   返信・引用

誰々はこう言った、誰々はああ言った、誰々はああだった、誰々はこうだった。
このようなものを持ち出す生き方してる限り、ぐるぐる思考は終わりませんよ。



[552] 管理人さんへ

投稿者: 投稿日:2018年 5月15日(火)17時03分32秒   通報   返信・引用

相手を敵にまわすような言いまわしは慎むべきだ。
相手の反感を引き寄せているのは、紛れもなくあなた自身です。
これが神経症者をネット世界へ足止めする事になっている。
神経症者なんか相手にしないのであれば、言葉にせずにただちに実行すればいい。
これが、言葉のない世界に生きるということ。
相手に絡んでいっているのはあなた自身です。

ではみなさまお元気でね。



[551] 神経症者を治したい人(情報発信者側)が神経症者に対してするべき事

投稿者: 投稿日:2018年 5月15日(火)15時51分1秒   通報   返信・引用

神経症者をネット世界から卒業させる事。
これを、ここの掲示板がやるべき事。
だから相手に、自分自身への反感や執着はもたせるべきではない。
相手への対立意識が、神経症者をネット世界へ留める事になり、これが神経症者の生活を妨げる事になる。

以上、わたしのここでの役割はもう終わりにします。



[550] はいはい

投稿者: 投稿日:2018年 5月15日(火)14時47分55秒   通報   返信・引用

いつまでも既存の範囲の中でぐるぐるしていてください。
世の中に最終的な答えなんかはありません。

じゃあな!!!



[549] Re: [546] やっぱり戻ってきた

投稿者: you 投稿日:2018年 5月15日(火)14時39分12秒   通報   返信・引用

>わたしはもう尽きました。

海さんは尽きていませんね。尽きていれば二度と戻って来ないはずです。
傷付くのが嫌なので他人との関わりを切ろうとしているだけでしょう。
(しかし、気になって仕方がないので何度も何度も戻って来るのが海さんですね。)

「我」にこだわらなければいくら論争してもよいのです。
依存など関係ありません。世の中には実に多くの異なった考え方があるのですから、
自由に論争して自分の知らない考え方に触れることは大切なことです。肯定しても
否定しても自由なのです。
森田先生も丸井先生も、フロイトもユングも論争大好き人間でした。

>これが人に依存しない生き方であり、ただの共存として存在できる在り方です。

それは自分の殻に閉じこもっているだけでしょう。その状態が神経症です。


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