神経症を治す掲示板第二  書き込み自由


カテゴリ:[ 健康/医療/介護 ] キーワード: 神経症 森田療法 対人恐怖


新着順:919/5711


[4970] ベストさん⑥

投稿者: 投稿日:2019年 5月10日(金)09時53分52秒   通報   返信・引用

まあ、わかる人にとっては、当たり前の話と言えば当たり前の話なんだけど、人との対等な立ち位置に生きるというのは、善人になる事ではないよ。
人との対等な立ち位置に生きるというのは、人それぞれの世界観や人生観を尊重出来るようになり、人とは違う世界観や人生観に生きてる自分自身に対しても、自己卑下したり、他人より優位な立ち位置に立ったりせず、自分は自分という立ち位置を確立する事です(自己確立)。
そうなると、誰かの先生にも生徒にもならずにすみます。
これが対等な立ち位置です。

善人を意識している人間ほどに、人間性は汚いし、メサイアコンプレックスになりますよ。
この掲示板には、そのいい例がいます。
強迫観念に素直に、強迫観念の塊に生きてる健常者は、このようになります、の、いい例です。
世の中にある、先人の教えとやらは、このような人間を創造しますから、ほんとにいい迷惑ですよ。
つまり、このような教えをこの世に残した先人も、この人達と同類だという事ですよ。

自分は、教えではなく自分を信じて生きましょう。
教えをこの世に残した先人も、医者も、所詮はただの人。
地位や名誉や名声に目が眩んでいる人(価値を置く人)達には、わたしの言葉は届かないようになっています。
わたしは、こんなものに価値を置いて生きていないから。
人は、類は友の間でしか、自分の言葉は届きません。

わたしは別に、誰かに信用してもらいたくて書いてるわけではないので、どのように思っていただいても、相手の自由です。
自分が信用するものは、自分で決めましょう。
相手から、自分を信用してと言われたところで、信用出来ないものは信用出来ないのだから、結局、自分が何を信じるかは、自分が決めています。
信じる信じないを意識する前に、既にその状態に在るのが、自分が選択した現実です。
信じるというのは、信じようとして(努力)で出来る事ではありません。
愛は努力ではない。
だから、エネルギーが枯渇しない。
無理な生き方してないから。

自分が愛せるもの、受け入れられるものは、ある意味、既に決まっています。
努力では、受容は出来ません。


新着順:919/5711

お知らせ · よくある質問(FAQ) · お問合せ窓口 · teacup.レンタル掲示板

© GMO Media, Inc.