神経症を治す掲示板第二  書き込み自由


カテゴリ:[ 健康/医療/介護 ] キーワード: 神経症 森田療法 対人恐怖


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[5143] Re: 健康な人と神経症者の違い

投稿者: 男前の青年 投稿日:2019年 5月20日(月)17時19分47秒   通報   返信・引用 > No.5137[元記事へ]

この方の健康な人とは何を指しているのだろう「脳の狂を持ったまま」「一心不乱に雑用をしている状態」か
自分で何を思い実行しようが自由だが、悩み苦しむ人に間違いの教えを説くのは罪な事です
何も無いなら貴方の言う事など誰も信じないが、迷い藁おもつかむ思いの人は藁をつかむ
狂いや雑用などと思い込みや短絡的な結論をして、ISの様な罪を犯してはいけない。

私も神経症(対人恐怖)に苦しんだ後、30年間会社の社長として頑張ってきた、この現実に起こった対人恐怖からの変化はなぜ実現したか
それは博士の言う通り「ひとたび自覚を得た」が重要であり、自覚とは何か?
それは自分を治す変えるのを心底諦めて生きた時に、安楽に生きれる体験をする、その結果から自分が行い考えてきた間違を明らかに知る事が自覚です。
この自覚は知識(悟り)であり一生つづくものです、その知識(自覚、悟り)が30年の社長をこなせた
現在も社長進行中なので就職の必要はございません。

なお森田博士の「大疑ありて大悟あり」の教えを書いておきます
精神が四方八方全般に働いて、しかも現在の仕事の最も適切にできる状態を「無所住心」という。これがいわゆる「悟り」でありましょう。
「悟り」の境涯は、すべての行動が、自由自在で、最も適切に働く時の状態であるが、
他の方面からみれば、我々の本能とか、自然良能とかいうものは、ほとんど不可思議的に、適切なる働きをするものである。
出し抜けに目の前に石が飛んでくる。パアと身をかわす。小さなごみにも、知らぬ間に、目を瞬いて、目に物を入れない。
悟りの働きは、このような微妙さの発揮されたものである。

迷い、疑いがあって、しかる後に、これを離脱したものが、「悟り」である。「大疑ありて、大悟あり」というのはそれである。
迷いのないものには「悟り」はない。
神経症にかかる前は「ただの本能だけで、それは微妙ではあるが、ただそれきりで、動物や白痴と同様である。
それが一度「迷い」に囚われると、本能の働きまでも、全く自由を失うけれども、さらに悟りを聴けば、全ての本能が自由に働き、その働きが広大無辺になる。


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