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カテゴリ:[ 健康/医療/介護 ] キーワード: 神経症 森田療法 対人恐怖


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[5400] 狂いの自覚2

投稿者: 投稿日:2019年 6月21日(金)11時13分59秒   通報   返信・引用

どうして、
わたしが、狂いの自覚が絶対的に必要だと考えるかと申しますと、
それは、自分の中の狂いを認識し、自覚することで、
自分の中の狂っていない心が働き始めるからです。

自分の中の狂っていない心とは、
浄土真宗的文脈で言うならば、弥陀の本願力であり、
すなわち、仏の心です。
誰しもが、狂った心を持っていると同時に、
この狂っていない心、仏心を持っています。

ゆえに、
「衆生本来仏なり」と言われるがゆえんです。

神経症の治癒において大切なのは、
自分の中の仏心をいかにして発動させるかに尽きると、
わたしは考えます。

そのためには、
自己の狂いを自覚し、自己の計らいを捨てさるしかありません。

歎異抄の中に、

「念仏は行者のために、非行・非善なり」

という言葉があります。

念仏は、自分の計らいによってなす行ではないから、非行であり、
自分の計らいによってなす善ではないから、非善ということです。

つまりは、
自分のためには、なにもしてない、ということです。

そういうことから、
管理人さんの、
「神経症を治すためには、
なにもしてはいけない」という主張は、
正しく、真理を反映していると、わたしは考えます。

「念仏は行者のために、非行・非善なり」を、
森田療法の文脈に置き換えるとするなら、

「動きは、神経症者のために、非行・非善なり」
ということになろうかと思います。

これは、管理人さんがよく言われる、
神経症を治す目的で動きをしてはいけない、
ということと、同じと思います。

また、座禅が座禅する、雑用が雑用する、とも同じです。

でも、一時期、
(とはいっても長期間にわたりましたが)、
管理人さんは、
口を開けば、雑用だ、動きだと連呼しておりました。

それゆえに、
わたしは、
「それだと、神経症を治すための雑用、動き、
つまり、自己の計らいによる雑用や動きになりやすいので、
指導として、間違っています」
と指摘させていただいたのですが、
耳を貸してはくれませんでした。

管理人さんは、
洞察力の鋭い、とても良いことを言うことが多々あり、
管理人さんの無為療法を正しく、分かりやすく、
伝えることができれば、
もっと多くの神経症者を救うことができると思うのに、
じつに、もったいないと、わたしは思うのであります。


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