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カテゴリ:[ 健康/医療/介護 ] キーワード: 神経症 森田療法 対人恐怖


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[574] Re: [565] youさんへ

投稿者: 投稿日:2018年 5月16日(水)17時12分27秒   通報   返信・引用

> 無さんも斎藤氏と同じように、無意識は無条件に「良いもの」と考えられておられるのでしょうか?

いえ、個人的にはそのような考えは持っておりません。
無意識に関しては、youさんと同じ意見です。

ただ、斎藤先生は、無意識という言葉を、鈴木大拙博士が言われる「無心」と同じような意味合いで使われているようなので、
私もそれに沿うような形で、無意識という言葉を使わせていただきました。

ちなみに、鈴木大拙博士は、無心についてこのように語っております。

「為されるがままころころ転がっていく石ころのように、万事滞りなく出来ること」


> 水谷啓二先生の「仏教的人間観」の根本は「人は本来一つの意識体であって、各個人がバラバラに
> 存在しているのではない=平等感」というものでした。(これがさらに深くなると、人だけではなく
> 他の動物や植物とも一体の感覚が生まれて宗教体験につながるというものです。)
> これは「無意識の領域」ではなく、はっきりと自覚できる「意識=平等意識」の世界の話として
> とらえる方が適切だと思うのです。


youさんの仰っている通りかと思います。


> 鈴木知準氏のような「今」と「動き」を重視する考え方では非対人系の強迫観念は治っても
> 対人恐怖は治りにくいものですが、私は水谷先生とご縁があったことによって仏教を学ぶように
> なり、そのおかげで対人恐怖は霧が晴れるように消えて行きました。

斎藤先生は、「動き」によって引き起こされる無心の状態(無意識状態)に対する信心がとても篤いお方のようです。
そういう方であれば、神経症の症状の種類に関わらず、「動き」によって治癒へと導かれることは可能なのではないかと私は思っております。

ただ、その治りが「動き」によって為されたと思い込んでしまうと、間違った方向へと導かれてしまうのではないかと思っております。

喩えて言えば、「動き」は電気のスイッチで、「無」は電気の明かりです。

スイッチを押すことで、(無明の闇を照らす)明かりを灯すことは出来ますが、スイッチ自体は明かりではありません。
神経症の治癒能力があるのは明かりであって、スイッチではありません。
スイッチと明かりを混同してしまうと、いくらスイッチを押しても明かりは灯らないのではないかと思います。


> (私は、重症の対人恐怖に苦しんでいる人には是非仏教を学んで欲しいと思っています。)

私も同じ意見です。
日常生活での雑用は進んでしたほうが良いとは言っても、ずっと動き続けるというのは、なかなか難しいのではないかと思いますし、
仏教を学ぶこと自体が喜びに満ちていると思うので、学ばないというのは、軽症、重症にかかわらず、とてももったいないことだと思います。

それに、動きで治ってしまった場合、仏教の主眼である自他の対立を乗り越えるところまで進んでいかないケースが多いような気がします。


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