神経症を治す掲示板第二  書き込み自由


カテゴリ:[ 健康/医療/介護 ] キーワード: 神経症 森田療法 対人恐怖


新着順:78/8117


[8309] 青い顔して論文を繙(ひもと)いている人間

投稿者: ぐると 投稿日:2020年10月12日(月)23時12分15秒   通報   返信・引用

神経症は論文をいくら漁り読んでも治らない。

「神経症者 今日も飛びつく インチキ論文」

昔掲示板で誰かがこのような川柳を載せているのを読んだことがあるが、日々大量に生産されるらしい
神経症論文や新たな学説が気になってしょうがないのも神経症が治ってない人の証拠でしょう。

管理人は昔から(いつからかは知らない、おそらく20年以上前からだろう《笑》)、
神経症関連の海外の怪しげな論文をせっせと漁り、翻訳してページに掲載している。

常に神経症や脳科学情報を読まないと不安らしい。おそらくこれも神経症の症状でしょう。

掲示板の読者の中には、神経症を「病気」ではなく「心の問題」として捉えることを「前近代的」として、
「論文」による「データや新説」が「科学的」で正しいと思う人もいるかもしれないが、違うのである。

これはむしろ逆なのである。
そのように日々大量生産される雑多な論文を信じるほうが、じつはずっと「非科学的」なのである。

小保方のSTAP論文などをみてもわかるように、こんなものは功に燃える学者連中が
いくらでも捏造できるもの。かくして今日も胡散臭い「最新科学論文」が大量生産されている。
私は煩雑な論文の内容など頭から信じない。読者の中にもしこのような論文を真面目に読み、
いちいち真に受ける人がいたら、お気の毒としか言いようがない。

昔は神経症の原因については、精神分析の一派によって、全部「幼少時の体験によるもの」だとする、
もっともらしい学説が濫発され信じられた時代があった。

例えば「鈴木知準の本」で「鈴木知準」がとあるドイツの精神分析の牧師を呼んで、患者も交えて
対談した話が載っていたが、これがひどいものだった。その牧師はある対人恐怖の人を捉えて曰く
「私が思うに、この患者の場合、幼少時に人に意地悪した経験があり、その罪悪感がずっと心に残って、
いまの対人恐怖という形で現れているのではないか」と強引に当て嵌めようとするのであった。

このような「当人も記憶が残らない幼少時の頃の経験の話」についての真否は確かめようがあるまい。
そこがこの種の話のミソで、この派では治療者はいかようなストーリーをでっち上げることもできる
わけで、要は「前世で悪いことをしたから、いま苦しみを受けている」という迷信と同じである。
「前世」というと「迷信で非科学的」と誰も信じないから「記憶のない幼少時」に置き換えただけである。
昔はこのように、いくらでも話を捏造することができた。精神分析の胡散臭さが指摘される部分である。
じっさい、中には自分の都合のいいように、興味本位に患者を誘導する悪質な医者もいたらしい。

このように「迷信もどき」の話でも、術語を使ってそれなりに仕立て上げれば、
立派な学説として通用してしまうのである。インチキ論文の大半なんてだいたいこれと大差ないものだ。

日々量産される論文の中にはもちろん光るもの、正鵠を得ているものもあるだろう。
しかしそれは我々素人があわてて飛びつかずとも、そのうちしっかりした主派の学説になって
定着するだろうから、そのような議論は専門家たちにまかせておけばよい。しょせん餅は餅屋である。
難解な術語を用いた小理屈に顔を突っ込んで苦心格闘することはない。
神経症の足元をしっかり見据えることなく、はるか遠くの霞んだ楼閣に浮かぶ「新奇な学説」、
「珍奇な主張」に囚われるのは、これまた雑多な療法をあれこれ漁り巡り歩くするのと同じである。

書店に氾濫する新書の見出し、やれ、人は第一印象がすべてだ、いや、見ている人はちゃんと見てるから、
コツコツやったほうが賢い、だの、いや、骨相学こそ見直されるべきだ、とか、そんな小手先ではない、
毎日神仏にお祈りすることこそ成功の秘訣だ、だの、毎日それこそゴミみたいに氾濫する
興味本位な新奇な情報を鵜呑みにするのと同じだといえば、その無意味さがわかるはずだ。


新着順:78/8117

お知らせ · よくある質問(FAQ) · お問合せ窓口 · teacup.レンタル掲示板

© GMO Media, Inc.