神経症を治す掲示板第二  書き込み自由


カテゴリ:[ 健康/医療/介護 ] キーワード: 神経症 森田療法 対人恐怖


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[938] ここに集まる人の特徴(まとめ)

投稿者: 投稿日:2018年 5月31日(木)18時23分58秒   通報   返信・引用

神経症であっても神経症に悩む人はここにはいない。
だから、相手を救おうとする行為は逆効果を生む場。
人はみな対等だという事を学ぶ場だ。
健常者が健常者な自分に悩んでいない人の映し鏡。
健常者が神経症について考えるなら、神経症者も考える。
どちらにも、自分の中には同じ闇があるからだ。
全ては対になっている為、神経症者を考えれば健常者を考える事になり、健常者を考えれば神経症者を考える事になる。
善悪を考えるというのも同じ事。
片方を考えればもう片方も考える事になる。
自分の中の意識のバランスがとれないことにより、これらが強迫観念となり自分を縛るのが神経症。
健常者は、自分の中の意識のバランスがとれていないことに対しての自覚がないだけであり、神経症者と対等である。



[937] 森田療法の妥当性検証 2

投稿者: 森田療法に反対も賛成もしない者 投稿日:2018年 5月31日(木)17時53分9秒   通報   返信・引用

性格上での思い込みが激しくて、日常生活に支障を来して病的な連鎖が止まらなくなる。これも的を得ていると思う。やり過ぎた連鎖は病気であるが、一概に、病気かどうかも考える必要がある。



[936] 強迫観念とは

投稿者: 投稿日:2018年 5月31日(木)17時38分59秒   通報   返信・引用

自分の中にある、可能性(自分、他人)のこと。
つまり、想像力(創造力)とも言う。
自分の中のたくさんの可能性を一つに統合して、選択の余地がない一つの可能性に生きることを、本来、今に生きるという。
これに生きるようになると、全ての偶然という必然が理解できてくる。
わたしがやってきた事は、人間を知る=自分を知る=宇宙を知りこの世を知る、という事です。



[935] 森田療法の妥当性検証

投稿者: 森田療法に反対も賛成もしない者 投稿日:2018年 5月31日(木)17時00分54秒   通報   返信・引用

森田療法の”あるがまま”は的を得ている面がある。恐怖突入、社会貢献は置いておきます。脅迫観念は自分で根拠も無く、作り上げており、そこから囚われ起きてもいない現実を勝手に想像していまう。そこから、脱出出来ないのです。が森田療法の文面です。高度な脳を持つ人間であれば、充分あり得ると思います。



[934] 犬さんへ

投稿者: 投稿日:2018年 5月31日(木)16時41分50秒   通報   返信・引用

色んな場合あるけど、人ってね、他人の趣味の話とかは、ある意味、聞いても楽しくないものなんだと思う。
相手が好きな人とかならまた別だとは思うけど。
人は、好きな相手のことは知りたくなるものだから。
よく、自分のペットの話とかする人いるけど、あれ、話してる時って、話してる人は自分の事しか見えてないよね。
家族の話する人もそう。
自分の事しか見えてないから、外で第三者を持ち出した話をすると、人のやっかみ買ったりする事になる場合もあるね。
やっかみ買ったりするのも、自分の責任だよね。
こういうのが、議論好きと同じように見えるのは、自分は自分しか見えていないというところが同じだからかな。
これらは承認欲求だから、ゴタゴタする事もあるよね。
まあこんな感じで、自分が何を幸せに感じてるかは、ある意味、他人は全く興味ないものなんだね。
なんでも色んな場合あって、相手や時と場合だけど、でもだから、わたしの場合はね、わたしが哲学とかについて考えたりするような人間だというのも、いつもわたしが何を考えてるとか、周りに知ってる人は誰1人いないよ。
人って、相手に自分を知ってもらいたいものだから、議論するんだね。
あと、学びの密度が濃いという感覚は、わたしはよくわかる。
わたし常にそうだから、わたしの中の時間感覚、ぐっちゃぐちゃ^ ^


あはは。じゃね。



[933] 海さんへ

投稿者: 投稿日:2018年 5月31日(木)15時58分31秒   通報   返信・引用

>犬さんは議論好きなんだよ。

う~ん。そうなのかな。
ぼく自身は議論が好きというより、
宗教や哲学を語るのが好きなだけだと思っているんだけど、
でも、傍から見たら、それが、議論好きに見えるのかもしれないね。

ここだけの話ね、
恥ずかしいから言わなかったんだけど、
海さんにだけは言うよ。

じつは、コメントを書きながら、

「オレって、超面白いこと書いてるな」

そう思いながら、書いているんだよ (*/∇\*)

読んでくださっている人には、
ぼくが感じている面白さや、宗教や哲学に対するぼくの愛は、
全然、伝わらないみたいだけどね。

だから、
すぐさま精神病院送りにすべき危険人物にされちゃうのだと思う(笑)。
これもまた、致し方なし。

でも、
そろそろ、本当に書くことが無くなってきてしまったかなって、思ってる。

この第2掲示板に書かせていただくことになって、
たぶん、20日間くらいだと思うんだけど、
海さんのおかげもあって、本当に密度の濃かった20日間になったと思う。
この20日間は、3年分くらいの学びに匹敵したのではないかと、
冗談ではなく、本気でそう思ってる。

本当にありがとう。



[932] さよなら

投稿者: 投稿日:2018年 5月31日(木)14時58分56秒   通報   返信・引用

aちゃんと入れかわり。
犬さんは議論好きなんだよ。
議論というのは、内に秘める神経症の事。
これが好きというのは、学びを卒業する気がないのと同じ。
だから、仏陀やキリスト崇拝がやめられない。
この人達は、学びに生きる人を作り上げるだけ。
苦しみの中でも生きられるように、生きる支えを与える。
支えなくして立つ方法は、仏陀やキリストの教えにはない。
わたしのここでの居場所は、おかげさまでなくなった為、さようなら。
以前も、aちゃんと犬さんコンビの時期があったけど、またそこに戻ったね。
あなた方は以前、2人でわたしのことを色々言っていたが、その裏では、わたしとるみかがコンビみたいになっていたけど、わたしとるみかは、あなた方のことをとやかく言ってはいない。
記憶は曖昧だから断言は出来ないが。
とにかく、仲間を持つ間は、全く進まないことを、覚えておくといいかもね。
だからわたしは、世間が言う友達などは、意識的に納得しながら手放して卒業してきたんだよ。
色んな場合あるけど、基本的には、裏で第三者の話をするのは、わたしの趣味じゃない。
今とは常に、一対一。人とは常に、一対一。
これがわたしの愛です。


ではさようなら。
返信無用です。



[931] Re: (無題)

投稿者: 投稿日:2018年 5月31日(木)13時11分10秒   通報   返信・引用

> youさんは属性を舟として現世を楽しもうって考えだったと思う。
> そして、来世もまた楽しみたいしそれを望んでる(輪廻を必要としてる)。

そうなんだ。だとしたら、仏教を誤解してるよね。
だから、ぼくとは話がかみ合わないのかな。

> 人生は結構楽しいと思ってるからね。

いわゆる健常者と言われる人も含めて、
多くの人がそう思ってるよね。

仏教には、「顛倒夢想(てんどうむそう)」という言葉があるんだけど、
これは、「転倒した、ひっくり返った、夢想、妄想」という意味。

「常楽我浄(じょうらくがじょう)」という言葉があって、
普通の人は、
この世界を、永遠(常)のものと感じ、楽しいものと感じ、我という中心があると感じ、
綺麗なところだと感じていると思うんだけど、
これは全部、逆さまな、ひっくり返った、間違った、妄想的な考え方であり、
現実にはそぐわない考え方だから、だから、今は楽しくても、段々と辛くなってくる。

加齢とともに、今楽しんでることが、楽しめなくなってくることがほとんどだから。

でも、AZさんが、今人生を楽しんでいるのなら、
存分に楽しんだほうが良いと思う。

そうでないと、
この世界に未練を残したまま、仏教や仏教に準ずる正しい教えを実行しようとしても、
うまくいかないことが多いみたいだから。

だから、
ある程度の年齢に達した人のほうが仏教などの教えを学びやすい、
そう言う人もいる。

でも、神経症に苦しんでいる人は、
もうすでに、この世界は苦であるということが受け入れやすい状態にあるから、
そういうわけで、
健常者よりも神経症者のほうが、仏教を学ぶことに向いているんじゃないかなって、
ぼくは思ってるんだ。



[930] (無題)

投稿者: AZ 投稿日:2018年 5月31日(木)12時20分30秒   通報   返信・引用

llikehellさんの
「経営者として人を見るが、
学歴や経歴は関係ない、
病気でもいい仕事が出来るかどうかだけだ」って説明は自分にとっては結構励まされるところがある。




[929] (無題)

投稿者: AZ 投稿日:2018年 5月31日(木)12時15分45秒   通報   返信・引用

いろいろこまけーこと気にするのは、
やはり常識とか社会通念とかめちゃくちゃ信じてるから
肩書きとか経歴とか立派とか普通とか
何だかんだめっちゃ信じてる
脳が作り出したバーチャルな世界観を信じてる
宗教を信じてる
まあ生物学的に正しい通念とかもあるけどね



[928] 本能を活かす

投稿者: likehell 投稿日:2018年 5月31日(木)12時13分1秒   通報   返信・引用

最近、バドミントンを再開したのですが、年齢的な肉体の衰え以上に劣化してたものがあるんですよ。それは本能的な自然な動きなんです。技術的に基礎を学ぶことは絶対に必要なんですよ。でもそれを超えて考えなくても自然に出来るようにならないと上のレベルには進めない。だってトップ選手のスマッシュは400㎞出るんですよ。考えてる暇はない。
書き込みを見てるとみんなよく勉強してきたことは分かるんですよ。だから一旦仏教とかから離れてみたらいかがですか。



[927] (無題)

投稿者: AZ 投稿日:2018年 5月31日(木)12時02分52秒   通報   返信・引用

>仏陀の教えの本質が、
「この世に対する渇愛を壊滅して、輪廻を断ち切る」

youさんは属性を舟として現世を楽しもうって考えだったと思う。
そして、来世もまた楽しみたいしそれを望んでる(輪廻を必要としてる)。

仏教の本質はよくわからないが、
youさんはかなりいいとこどりな捉え方だし、
自分もその点だけで言えば
マリオのように楽しめばいいんじゃないかなと思うなあ
まあ輪廻を信じてないけど。
輪廻があるなら、そりゃあいいねとしか思わない。
「この世に対する渇愛を壊滅して、輪廻を断ち切る」はよくわからない。
人生は結構楽しいと思ってるからね。
こまけーことを気にして駄目になっちゃうけど。
輪廻があってこまけーこと気にしなくなれば、そりゃあ現世も楽しめる世なあと思う。
浅いのかね。



[926] (無題)

投稿者: AZ 投稿日:2018年 5月31日(木)11時55分59秒   通報   返信・引用

いろいろな感覚や自我は脳が作り出してるという認識に人類がなったのは、せいぜい数百年なんだよね
でも人類は何百万年も生きていて
神や仏や輪廻を当たり前に暮らしてたのだろう
その脳を現代人は持ってて
脳の構造は数百年では変わらない
(斎藤さんの話ではエピジェネなんたらで変わるらしいが)
つまり超越的なことを信じてるほうが自然な状態とも言える



[925] AZさん

投稿者: 投稿日:2018年 5月31日(木)11時55分53秒   通報   返信・引用

もし良かったら、
ジョーゼフ・キャンベルの動画を見てみて。

https://www.youtube.com/watch?v=iga_x14SAG0&t=62s

シリーズものでちょっと長いんだけど、
もし興味が持てるようだったら、世界観が変わるきっかけになると思う。

ちなみに、Vol.2からになってしまってるんだけど、
Vol.1は、削除されてしまってるみたい。残念(>_<)



[924] (無題)

投稿者: AZ 投稿日:2018年 5月31日(木)11時51分9秒   通報   返信・引用

自我が、脳が作り出すバーチャルなら、
そうやって超越的な世界を信じる自我になることで神経症から自由になれるならそっちのほうが幸せでもあるだろうね

まあ脳が作り出してるという唯物的概念ではそこに至れないんだけど、
そこに至れるのもまた脳が作り出してるから・・

あっ全て仮定の話です
現時点では私はその程度の世界観だというだけで、
他の世界観もまだ信じる余地はある







[923] AZさん

投稿者: 投稿日:2018年 5月31日(木)11時45分49秒   通報   返信・引用

> youさんは輪廻を完全に信じてるのも
> 自分としては謎なところである

輪廻については、
いろいろと議論があるところだと思うけど、
ぼく個人としては、輪廻を信じてるよ。

というか、
輪廻を信じないと、
仏教の面白さは分からないような気がする。

仏陀の教えの本質が、
「この世に対する渇愛を壊滅して、輪廻を断ち切る」ということだから。


> 確かにマリオのように死んでもまた復活出来るなら
> 現世での色々な後悔や気になるところとかあっても、
> またワンチャンあって復活出来るし、現世は現世でこまけーこと気にせず失敗を恐れず楽しんじゃえー!ってなれるよね

もしマリオに感覚や感情があったとする。
AZさんは、マリオになりたいと思う?

あんな次から次へと、自分の身に危険が生じてくる世界に、
生まれ変わって、また戻ってきたいと思わないよね。

マリオの世界は、マリオにとって「苦」の世界。

それは、この世界も一緒ということが、仏陀の教えだよ。

この世界に対しての執着(渇愛)が心の中に少しでも残っていると、
死んだあと、心はまた肉体を作り出してしまうから、
この世界で生きているうちに、執着(渇愛)を壊滅させようということだね。


> youさんの言う形で仏経を学ぶにしても、そもそもそこのところを信じれるかってところでふるいにかけられるのではないか?
> 信じないまま言葉のシャワーにより効果が出ることはあるのか?とか。

これはほんとAZさんの言う通りだと思う。

輪廻を信じないと、
道元や親鸞の言葉が持つ力も半減してしまうような気がする。

だから、ぼくとしては、
自分が興味を持って、面白く読める本が良いと思うんだ。読んでいて至福を感じる本ね。


> youさんは、神経症からの救いを教えてくれようとしてるのだけど、
> 半面自身の信じるものを守ろうと
> 必死になってしまうところがあるような気がしてる。

youさんが、自分が信じているものを必死に守ろうとしているということはないと思うよ。

youさんは、自分が言っていることに確信を持っているだけと思う。



[922] (無題)

投稿者: AZ 投稿日:2018年 5月31日(木)11時28分28秒   通報   返信・引用

性格や人格などが属性に過ぎないってのは、
そのような超越的な世界を前提にしなくても正しいことだとも思うんだよね
脳が作り出した世界だもんね
自我ってのは
日々この自我ってものがあって悩んだりしてるわけだけど、
そもそもかなり脳の作り出すバーチャルなものでもあるよねー的な

でもそういうことを言うとyouさんは
そういう捉え方では全然駄目で無意味だと突っぱねるわけだ。

その突っぱねるというのは、
意味がないと思ってるからという半面、
自身の信じる世界を壊す発言だからなんだろうと。



[921] AZさん

投稿者: 投稿日:2018年 5月31日(木)11時27分12秒   通報   返信・引用 > No.919[元記事へ]

> 性格とか人格なんて属性に過ぎないのだから~
> こっちだってふざけたキャラでオラオラ失礼に本質を聞いちゃいますよ~
> みたいな姿勢が本諦と俗諦を一緒にしてるということなのかもね
> それで無視されるw

あははは。

それは確かに、AZさんの言う通りだね~。

浄土真宗にいう、「本願ぼこり」に似ているかも。

浄土真宗では、
阿弥陀仏の本願はどんな悪人でも助ける本願だということになっているんだけど、
それなら、どんな悪事に身を染めても大丈夫なんだって思って、
平気で悪を行ってしまうことを、「本願ぼこり」というみたい。

これに対する、親鸞聖人の答えが秀逸でね、

「薬があるからといって、わざわざ毒を好むべきではない」

と言ったんだよ。

いくら性格や人格が属性だからといって、
人に対して失礼な言動を取るのはなるべく控えないとね(笑)。



[920] (無題)

投稿者: AZ 投稿日:2018年 5月31日(木)11時19分18秒   通報   返信・引用

youさんは輪廻を完全に信じてるのも
自分としては謎なところである
確かにマリオのように死んでもまた復活出来るなら
現世での色々な後悔や気になるところとかあっても、
またワンチャンあって復活出来るし、現世は現世でこまけーこと気にせず失敗を恐れず楽しんじゃえー!ってなれるよね
でもさ、やっぱり自分は死んだら終わりだと思うんだよね
youさんは輪廻を信じてることも神経症の治りは関連してますか?と以前聞いたら、
「半分してて半分してない」みたいに言ってた。
物質的世界と霊的世界は別フォーマットであり、
ある種の上位世界として霊的世界があるみたいな認識?
youさんの言う形で仏経を学ぶにしても、そもそもそこのところを信じれるかってところでふるいにかけられるのではないか?
信じないまま言葉のシャワーにより効果が出ることはあるのか?とか。

youさんは、神経症からの救いを教えてくれようとしてるのだけど、
半面自身の信じるものを守ろうと
必死になってしまうところがあるような気がしてる。



[919] (無題)

投稿者: AZ 投稿日:2018年 5月31日(木)10時56分30秒   通報   返信・引用

性格とか人格なんて属性に過ぎないのだから~
こっちだってふざけたキャラでオラオラ失礼に本質を聞いちゃいますよ~
みたいな姿勢が本諦と俗諦を一緒にしてるということなのかもね
それで無視されるw



[918] AZさん

投稿者: 投稿日:2018年 5月31日(木)10時35分17秒   通報   返信・引用 > No.917[元記事へ]

> 無我さんに言葉のシャワーの件聞いてさ
> じゃあそういう本読んでみようかと思って
> 何かおすすめおせーて?って聞いて
> 結局おせーてくれないまま一年以上経ってる気がする今日この頃皆様はいかがお過ごしでしょうか。
>

(^∇^)アハハハハ!



[917] (無題)

投稿者: AZ 投稿日:2018年 5月31日(木)10時20分36秒   通報   返信・引用

無我さんに言葉のシャワーの件聞いてさ
じゃあそういう本読んでみようかと思って
何かおすすめおせーて?って聞いて
結局おせーてくれないまま一年以上経ってる気がする今日この頃皆様はいかがお過ごしでしょうか。



[916] 海さんへ

投稿者: 投稿日:2018年 5月31日(木)10時12分59秒   通報   返信・引用

>言葉のシャワーを浴びる、というのは、浴びると効果があるなどという意図を持って浴びても、本当の気づきにはならないよ。
>見返りを求めた意識にはそれなりの結果しか生まれない。

海さまはほんと良いことをおっしゃる!

ほんと、海さんのおっしゃる通りだと思う。

ぼくが、そういう本を読む唯一の動機は、
そこに至福があるからだよ。

至福が唯一の見返りかな。

海さんとこうしてやり取りしているのも、
ただ単に楽しいからであって、
もし疲れたりするようだったら、とっくにこの場所を離れてる。

でも、海さん自身は、
早くやめたがっているようだから、
もうそろそろにしたほうが良いのかなとも思ってる。



[915] (無題)

投稿者: 美香 投稿日:2018年 5月31日(木)09時17分27秒   通報   返信・引用

精神病の患者に、語る資格はありません。
今すぐに作業。



[914] 犬さんへ

投稿者: 投稿日:2018年 5月31日(木)07時03分4秒   通報   返信・引用

言葉のシャワーを浴びる、というのは、浴びると効果があるなどという意図を持って浴びても、本当の気づきにはならないよ。
見返りを求めた意識にはそれなりの結果しか生まれない。
自分の現実は自分の意識の投影だから。
自分で創造してるから。
言葉のシャワーを浴びる、の本来の意味は、承認欲求を手放した意識が発する意識を浴びる事を言う。
承認欲求を手放した意識というものには、自然に、ブーメランが返ってこないという結果になる為、これが、必然的に、言葉のシャワーというものになる。

じゃあね。



[913] 意識は一つ

投稿者: 投稿日:2018年 5月31日(木)06時15分46秒   通報   返信・引用

自分を知れば他人を知り、他人を知れば自分を知る。
神を知れば自分を知り、自分を知れば他人を知り、他人を知れば神を知る。
神=自分であり他人。
分離した意識などは存在しない。



[912] この世は鏡の世界

投稿者: 投稿日:2018年 5月31日(木)05時35分30秒   通報   返信・引用

相手に対しての承認欲求を手放すと、ブーメランが返ってこなくなり、目の前が浄化されます。
この世は、自分の発信した意識を自分が受け取りながら生きている世界。
だから、管理人は、神経症者が自分に対して争いを起こしてくるなどと言い神経症者を馬鹿にするが、笑わせるなと言いたい。
人はお互い様に同時に相互作用しているが、争いを起こす意識を発信したのはお前だ。
相手を馬鹿にする行為は自分を馬鹿にするのと同じ。
意識は一つに繋がっている。
この世のからくりもわからずに相手ばかりを責める行為は、こちらから見れば、ただただ滑稽にしか見えない。
わたしは特に何かを勉強した事はないが、みなさま仏教ばかり勉強してないで、スピリチュアルというカテゴリーも勉強なされば少しはバランスとれるだろうにと、少し思う。
世の中にあるスピリチュアルも仏教もキリスト教も何もかもは、全てが一つになっている。
スピリチュアルがわかれば仏教わかるし、仏教わかればキリスト教もわかり、キリスト教わかればスピリチュアルがわかり、といったように、最終的には最初に戻り、全てが一つになり、全てわかるようになっている。
だから、わたしの話には、全てが同時に入っている。
今ここは一つであり、全ては同時な為、カテゴリー別に話をする必要はない。
カテゴリーごとに人を納得させる必要はない。
仲間も敵もいらないからだ。
わたしに対してみなさまは、意味不明で問題なし。
カテゴリー意識が対立を創造する。
人間は対等にシンクロしてこそ。
片目が閉じている人がいくら何を言おうが、わたしには届きません。
これが、犬さんやわたしが他の人達と話が噛み合わない理由。



[911] 海さんへ

投稿者: 投稿日:2018年 5月31日(木)01時02分56秒   通報   返信・引用 > No.909[元記事へ]

> 神経症が治った人からは学べる事はないについて。
>
> わたしもそう思う。
> それはなぜかというと、自分の中の強迫観念(我)が完全になくなって健常者になった人は1人もいないからだよ。

そうだね。
でも、それは海さんとぼくはそう思うだけであって、
管理人さん、HNさん、youさんから学べる人はたくさんいると思うよ。

ぼくも皆さんからは、
たくさん学ばせていただいたと思う。



[910] youさんへ

投稿者: 投稿日:2018年 5月31日(木)00時59分20秒   通報   返信・引用

> 私は若い頃に神経症を治すために大学を変えて仏教学科に入り直し、そこで悟った師匠・救われた師匠
> から仏教を学び直すことによって神経症が治りました。

youさんが神経症を克服するためにされた、
このような努力には本当に頭が下がる思いです。

以前、youさんが言っておられたことで、
とても記憶に残っていることが、
正法現蔵随聞記を読み、座禅を組むだけの生活で一年間過ごされたということです。

すごい気合で、
だからこそ、重症の神経症も克服できたのだなと思いました。

猫仙人さんへのアドバイスも、
このようなエピソードを交えてされたほうが、良いのになと思いました。

私もyouさんと出会い、とても勇気づけられた人の一人です。


> それ以前に自分なりにずっと仏教の勉強をしていた頃は神経症には何の変化もなかったのですが、

私個人の経験では、
仏教や、仏教に準ずる教えを学ぶことで、
神経症の症状はとても楽になり、受け入れやすいものになったと思います。

ただ、youさんのときとは時代が違うというのもあると思います。

今では、ネットを通じて、
いわゆる悟りを開いたという人の話は、
たくさん聞くことができるようになりましたから。

そういう意味では、
恵まれた時代になったのだと思います。


> 神経症が治ってからわかったのですが、一般の書店で売られている仏教書を書いている人々は(どんなに
> 有名な学者であっても)ほとんど悟りを体験していない人々だったのです。ですから、そんな人達が書いた
> 仏教書を読んでも教養としての知識が身に付くだけで、悟りがわかるはずも神経症が治るはずもなかった
> のでした。


この点に関しては、youさんと意見が違うようで、
私は、自分が興味を持って、面白く読める本であれば、
誰が書いた本でも良いと思ってます。
それは必ずしも、仏教書に限らないと思ってます。


> 「正師」(生きている師匠でも、悟った人・救われた人が書いた本でもいいです。)から学ぶのが仏教だと
> 思っていますし、そのように教えられて来ました。

「正師」の方の話や本に興味を持って、聞いたり、読んだりすることができたのなら、
それが一番良いと私も思います。
ただ、youさんご自身の経験として、
最初から「正師」の方の本を読まれたわけではなく、悟っていない人の本から読んだわけですよね。
私はその経験があったからこそ、youさんは「正師」に辿り着いたのではないかと思うのです。

HNさんが、初学者の方に、「鈴木大拙」を勧めていましたが、
その方には、難しかったようです。

難しい本を紹介し、それが理解出来なかったら、
その人は、仏教自体から離れてしまうかもしれません。

私としては、その人に合ったレベルの本を読んだほうが良いと思ってます。

ただ、私個人としては、
youさんが言っておられた、

「悟った人の言葉をシャワーのように浴びることで、精神の変容が起こってくる」

との言葉に、すごく感銘を受け、
基本的に、そのことを実践させていただいております。

悟った人の言葉には、
ものすごい力が込められていると日々実感しております。


> 犬さんの仏教に対する考え方は、(私から見ると)何か人生観の延長のようなものとして考えている
> ように見えます。

仏教は私の人生観を変えてくれたということは、確かです。

私が問題だと思っているのは、
仏教は、youさんの人生観を劇的なまでには変化させなかったのではないかということです。

三車火宅の喩えで言えば、
youさん、HNさん、管理人さん、皆さん、神経症が治ったことで、
燃え盛る家の中に留まることを選んだように見えます。

私は、燃え盛る家から外に出たいと思っております。

それが、皆さんと私との決定的な違いだと思っております。

>「神経症が苦しくて治したいから仏教を
> 学ぶ」というのであれば、それはあまり有効な方法ではないと私は思っています。

私としては、「神経症を治す」という発想自体が間違っていると思っています。

神経症を治すというのは、
神経症のままだと不幸だから、治すという発想になるのだと思います。
私は、神経症という苦しみがあるからこそ、幸福を感じることができ、
また霊的にも進歩できるのではないか、そのように思っております。

また、皆さんが言う、「神経症を治す」とは、快適な社会生活を送ることができるようになることを言っていると思われますが、
これは、燃え盛る家の中に留まることだと思ってます。
これは本当の意味での幸せではないのではないでしょうか。


> 「私は全然悟った人間ではありません。ただ、
> 仏教の初歩の部分がわかっただけで神経症は消えました」 と。


こういうところが、私がyouさんに対して、好意を持っているところでもあります。

HNさん、管理人さんのお二人は、自分が悟ったと信じ込んでいらっしゃるようです。

ただ、youさんは、
もう、燃え盛る家から出ようとはしないのかなって思ってます。



[909] も一つ

投稿者: 投稿日:2018年 5月31日(木)00時08分48秒   通報   返信・引用

神経症が治った人からは学べる事はないについて。

わたしもそう思う。
それはなぜかというと、自分の中の強迫観念(我)が完全になくなって健常者になった人は1人もいないからだよ。



[908] つづき(犬さん)

投稿者: 投稿日:2018年 5月30日(水)23時49分58秒   通報   返信・引用

学び学びに生き過ぎるとね、前しか見えなくなる。
自分置き去りになっちゃう。
前向きが過ぎちゃうんだよね。



[907] ふふふ、また来た^ ^

投稿者: 投稿日:2018年 5月30日(水)23時33分54秒   通報   返信・引用

だってこんな事を書くから(^^;;

> う~ん。でも、ぼくの人生は学びと修行だと思ってるよ

わたしもね、学び学びで喜び感じて生きてた時期あるんだよ。
この、喜びを感じている、というのが、ある意味、危険というか洗脳だったりするんだよね。
わたしの過去の話だけど、以前に話した、昔働いてた時に友達についていってはいるだけはいった〇〇苑に通ってた時。
この時はまだ神経症の出口見えてない頃で、友達の影響で、学び学びって感じで毎日生きてた。
神経症苦しかったけど、学び学びに生きてた時は神経症に苦しんでいる自分に本当には気づいてなかった。
学び学びに頑張ってる自分に酔ってて、神経症に生きてたけど喜び感じて生きてたんだよね。
仕事やめてから意識改革みたいな状態になった時に、初めて、自分の中の寂しさとかに気づいたんだよね。
その時たくさん泣けた。
それまではね、神経症なってからは、他人の為には泣けても、自分の為に泣けることがなかったんだよね。
学び学びとかに生きてるとね、苦しんでる自分に気づけない事あるんだよ。
自分の為に泣けてからは、肩の力が抜けて、学び学びという生き方が消えて、神経症になって初めて、睡眠らしい睡眠とれるようになった。
そこから10年以上たって今がある。

おしまい。



[906] 犬さんへ

投稿者: you 投稿日:2018年 5月30日(水)23時03分0秒   通報   返信・引用

私は若い頃に神経症を治すために大学を変えて仏教学科に入り直し、そこで悟った師匠・救われた師匠
から仏教を学び直すことによって神経症が治りました。(仏教の専門の先生方の中でも、悟った方・
救われた方というのは本当に少なかったのですが、何人かを見つけることが出来たのです。)
それ以前に自分なりにずっと仏教の勉強をしていた頃は神経症には何の変化もなかったのですが、「正師」
の指導を受けるようになると理解の仕方が大きく変わって行ったのです。

神経症が治ってからわかったのですが、一般の書店で売られている仏教書を書いている人々は(どんなに
有名な学者であっても)ほとんど悟りを体験していない人々だったのです。ですから、そんな人達が書いた
仏教書を読んでも教養としての知識が身に付くだけで、悟りがわかるはずも神経症が治るはずもなかった
のでした。

私は仏教は仲間と一緒に学ぶものとは全く考えていません。
「正師」(生きている師匠でも、悟った人・救われた人が書いた本でもいいです。)から学ぶのが仏教だと
思っていますし、そのように教えられて来ました。

犬さんの仏教に対する考え方は、(私から見ると)何か人生観の延長のようなものとして考えている
ように見えます。それは人それぞれでいいと思うのですが、「神経症が苦しくて治したいから仏教を
学ぶ」というのであれば、それはあまり有効な方法ではないと私は思っています。

先に「虫歯」の例えを出しましたが、管理人さんも言っているように神経症は脳神経が狂っていますから、
(軽症の人は別ですが)重症の人は「虫歯」を治すぐらいの気持ちでなければ治らないだろうと思って
いるのです。人生観を深めるという考え方では「虫歯の痛み」には太刀打ちできないだろうと思うのです。

[904]
>「神経症が治れば、まったく苦はなくなるよ」

私も他の人も、誰もそんなことは言っていないと思いますよ。
神経症の異常な苦しみが消えた、と言っているだけですよ。
私はいつも言っているでしょう。「私は全然悟った人間ではありません。ただ、
仏教の初歩の部分がわかっただけで神経症は消えました」 と。

[905]
>皆さん、神経症が治ったことで、全てを知った気になってしまっているようだから。

それは犬さんの大変な読み間違いですね、そんなことを言っている人は誰もいないはずです。
みんな、ただ神経症が治ったと言っているだけだと思います。



[905] 海さんへ

投稿者: 投稿日:2018年 5月30日(水)22時29分10秒   通報   返信・引用 > No.903[元記事へ]

> 下の人からあなたが学べる事あると良いけど、わたしはあなたは下の人から学べる事は無いと思う。

うん。そうなのかもしれない。
いわゆる神経症が治ったという人からは、
もう学ぶべきところはないのかも。
皆さん、神経症が治ったことで、全てを知った気になってしまっているようだから。


> 学び学びという生き方をやめてかないと終わらないよ。


う~ん。でも、ぼくの人生は学びと修行だと思ってるよ。

学びというとちょっと暗いイメージがあるかと思うけど、
ぼくにとっては、喜びだからさ。


> じゃあ元気でね。


またね(笑)。



[904] 神経症が治った人たち

投稿者: 投稿日:2018年 5月30日(水)22時16分54秒   通報   返信・引用

神経症が治ったという人のコメントを読んでますと、

「神経症が治って、毎日ルンルン気分」

というような印象を受け、
このことが、現在、神経症で悩まれている人に、
誤解を与えてしまっているように思えます。

言うなれば、

「神経症が治れば、まったく苦はなくなるよ」

という具合に。

でも、管理人さんのコメントを読んでますと、
右をみても、左をみても、不平不満だらけの人生を歩んでいるように感じます。

やれ、歩きスマホがどうとか、TOEICがどうとか、政治がどうとか、
もう何年も同じ不平不満を抱えています。

いわゆる神経症苦は減ったのかもしれませんが、
不平不満も立派な苦です。

結局、苦を脱し切れていません。

それは、HNさん、youさんからも感じられます。

どうしても、欺瞞的なものを感じてしまうのであります。



[903] 犬さんへ

投稿者: 投稿日:2018年 5月30日(水)22時02分5秒   通報   返信・引用

余計なお世話を一言。

下の人からあなたが学べる事あると良いけど、わたしはあなたは下の人から学べる事は無いと思う。
自分が引く、というのを学べたら良いのかな。
学び学びという生き方をやめてかないと終わらないよ。


じゃあ元気でね。



[902] youさんへ

投稿者: 投稿日:2018年 5月30日(水)21時43分47秒   通報   返信・引用

> 犬さんも仏教について、もっと勉強された方がよいでしょう。

youさんの仰る通りだと思います。
決して謙遜するわけではなく、事実として、
私はまだまだです。
なので、私が書いていることに間違いがあれば、
いつでもご遠慮なく、ご指摘いただけたらと思います。


> >仏教では、生きることは苦であるというのだから、苦がなくなることはないんだよ。
>
> と書いていましたね。 もう滅茶苦茶ですね。(笑)
> 「苦はなくなる」と教えているのが仏教なのです。

youさんの仰る通りだと思います。

ただ、般若心経には次のようにあります。

「無無明 亦無無明尽(無明というものはない。無明が尽きることもない)」

私はこれを、

「苦の原因である無明というものは本来存在しないのだけれど、
しかし、無明が尽きて、無くなることもない」

と解釈しています。

事実としては、youさんが仰る通り、「苦はなくなる」のだと思いますが、
ただ、実際には、このような状態に達するには、相当大変だと思います。
今世で達成できるかどうかと言われれば、無理なのではないかと思っております。

なので、
苦がなくなることを期待して修行するより、
「苦は尽きることはない」と思い、
修行に励むほうが実際的だと私は思っております。

これは誤解かもしれませんが、
youさんとお話ししておりますと、
共に真理を追求している仲間という意識ではなく、
「オレのほうが仏教に関しては詳しい」というような、
競争意識で書かれているように感じます。

youさんご自身は、
神経症が治ったことで、
もうそれ以上進歩するつもりはないのでしょうか?



[901] 下の方

投稿者: 投稿日:2018年 5月30日(水)21時25分52秒   通報   返信・引用

わたしがあなたに言いたい事はそんな事じゃない。
あなたは、likehellさんに対してもそうだったが、相手の状態が全く見えてない。
これを言ってるだけ。
そういう人は、相手の足を引っ張る事にしかならない。
仏教勉強したのはあなたの自由。
他人を巻き込んでその成果を実証しようとする。
他人に自分を承認させようとするのはやめな。
仏教お化け。

じゃあな。



[900] 無題

投稿者: you 投稿日:2018年 5月30日(水)21時15分45秒   通報   返信・引用

仏道を求める上では男も女も関係ありませんよ。
(私が知っている限りでは)浄土真宗では救われる人は女の人方が多いぐらいです。



[899] 犬さんへ

投稿者: 投稿日:2018年 5月30日(水)21時00分58秒   通報   返信・引用

無視してもいいけど、最後に言います。

下の人に返答するのはやめろ!
足が引っ張られるぞ!
返答するなら、あなたは相手の承認を求めてる、となる。

そもそもわたしは男ではありません。
下の方、相手が見えてない。


あとはお好きにどうぞ、犬さん。



[898] Re: [896] 犬さんへ

投稿者: you 投稿日:2018年 5月30日(水)20時51分37秒   通報   返信・引用

犬さんも仏教について、もっと勉強された方がよいでしょう。

[817] で 犬さんは

>仏教では、生きることは苦であるというのだから、苦がなくなることはないんだよ。

と書いていましたね。 もう滅茶苦茶ですね。(笑)

 <四諦(したい)>

 苦諦(くたい)・・・・人生は「苦」である。(この認識から求道が始まります)
            「人生は楽しいもの」と思っている間は求道は始まらないという意味。
 集諦(じったい)・・・「苦」には原因(無明)がある。
☆滅諦(めったい)・・・その原因(無明)が取り除かれれば「苦」は滅する。
 道諦(どうたい)・・・「苦」を滅するには正しい道(方法)がある。(八正道のこと)

  ※ (無明)というのは「無我がわからない状態」のこと。

「苦はなくなる」と教えているのが仏教なのです。

 <四諦>は「原始仏教」の基本の教えですが、「大乗仏教」では各項目についてさらに深く
 究明されています。

「真諦」と「俗諦」というのは「悟り」と同じで、体験して初めてわかるものです。


>仏教などを学ばなくても、仏教の真理を理解しているところなのだと思います。

彼は片面の真理しか理解できていません。
だから、普通に生活することが出来ない状態にとどまっているのです。

しかし、彼は頭がよく霊性も発達している人なので、「正師」に就いて本気で仏教を学べば
非常に早く「悟り」に到ることでしょう。



[897] 犬さん

投稿者: 投稿日:2018年 5月30日(水)20時38分50秒   通報   返信・引用

あなた、誤解してる部分多い。
わたしは自分の言葉しか話してない。
自分と分離した意識などない。
これ以上は話しても伝わらない。
そもそも、わたしの事を第三者に説明しなくていいよ。
そこから議論を作り出す必要もなし。
仲間意識はやっかいだ。
人とは一対一。
もうわたしは誰とも相互間会話はしない。

わたしがやれるのはここまで。
もうついてこないで。
意識が邪魔。
というか、ここは卒業する。
一人歩きしなね。
やっと解放される。


さようなら。



[896] youさんへ

投稿者: 投稿日:2018年 5月30日(水)20時18分33秒   通報   返信・引用

>海さんの書き込みには部分的には非常に深い洞察が含まれていて、海さんが頭のよい人であること
はわかるのですが、それらの洞察は決して特別なものではなく、仏教の世界では普通に言われている
ことなのです。


ということですが、
確かに、youさんの言う通りなのですが、
でも、海さんのすごいところは、
仏教などを学ばなくても、仏教の真理を理解しているところなのだと思います。


>仏教では「二諦(真諦と俗諦)」
という重要な教えがあり、海さんが書いているような超越的な洞察はその二諦の一つである「真諦」
の話であって、それだけでは真理の全体にはならないということが重要です。

これは、youさんの誤解だと思います。
海さんは、真諦と俗諦の両方のレベルにおいて、
真実を語っていると思います。

ただ、海さんの文章が普通の人に読みづらい理由のひとつとして、
真諦と俗諦の両方のレベルの真実を同時に語ってしまうところだと思ってます。

あと、これは私の個人的な意見なのですが、
海さんの文章には真実のみが書かれているわけではなく、
たまに、間違った情報も書かれてしまうときがあると思ってます。

海さんは真理を受信する、預言者的な才能があると私は思っているのですが、
たまに、間違った情報も受信してしまっているのではないかと思っています。

でもたぶん、youさんは、
こういうことは、あまり信じないのではないかと思います。

海さんが以下のように語っている通りです。

『わたしは、自分の周りには、自分に常に話かけてくれている意識がある事に気づいて、それだけが、ある意味ではわたしの先生だった為、わたしはそれを引き継いだだけです。
この意識というものは、ほとんど人に気づかれる事はない。
一方通行に語りかけるだけです。
そういう意識が、今ここには常に存在している。この話も、意味不明で流されて終わりです。』



[895] 下の方

投稿者: 投稿日:2018年 5月30日(水)19時26分8秒   通報   返信・引用

読む価値なし。
悪いけど、本当に読んでない。
あなたから感じるオーラ、わたしは受け入れられない。
わたしにとって、あなたのコメントほどに無駄な情報はない。


さようなら。



[894] 「海さん」へ(Ⅱ

投稿者: you 投稿日:2018年 5月30日(水)19時19分17秒   通報   返信・引用

つまり、「真諦」の世界に気付くだけでは人は自由になれないということです。「悟りさえも否定する
ような最終的な超越認識」を求道の途中でいきなり持ち出してすべてがわかったような気になっても、
それは観念の世界でそう思っているだけなので、現実世界での自由は得られず、神経症も治らないまま
になるのです。そのような状態で「神経症はこのままでよい」「全てはこのままで完全なのだ」といくら
無理に思おうとしても、その空しさは自分自身が一番よく感じているはずで、そのような人に限って、
「全てはこのままでよい」ことを強調したがるものですが、そのようなことを強調しなければならない
ということが、その人がいかに不安な気持ちで日々を生きているかを示しているのです。

仏教の2500年の歴史の中には宗教・哲学の天才や秀才が溢れています。
「龍樹(ナーガールジュナ)」、「世親(ヴァスバンドゥ)」を筆頭として数え切れないほどいます。
海さんの洞察をはるかに越えた深い洞察を得ていた人達が沢山いるのです。仏教ではそれらすべての
洞察が長い歴史の中で徹底的に検証され、普遍的で真に優れた知見のみが残された「叡智の結晶」に
なっているのです。それが大乗仏教の世界です。(原始仏教はその出発点です。)

海さんは「自分には我がない」と言っていますが、私から見れば、この掲示板に書き込んでいる人達の
中で一番「我」が強いのは海さんですよ。海さんほど思い上がりの強い人はいません。
「人が他人に何かを教えようとする誤り」を主張しながら、実は一番人に教えようとしているのが海さん
で、しかも、自分が仏陀やキリストよりも深いことがわかっていると思い込んでいるのですから、
管理人さんだけではなく、健康な人なら誰でも海さんが正常ではないことがわかるのです。

>仏教とか何とかを色々勉強しなくても、人間(自分)を知るだけで全てがわかるようになってるよ。

そんなにうぬぼれていないで、もっと謙虚になって先人達の智慧を学んではどうでしょうか?

そうすれば、最終的に「真諦」と「俗諦」についても体験的に理解できるようになって、「超越的認識」
を持ちつつ、「普通の生活」を送ることが出来るようになります。今の海さんは真理の片面しかわかって
いないのです。 (終り)



[893] 「海さん」へ(Ⅰ)

投稿者: you 投稿日:2018年 5月30日(水)19時15分53秒   通報   返信・引用

(海さんを傷付けたくなかったので)これまで何も書きませんでしたが、海さんが仏教や仏陀に
ついてあまりにも無知であまりにも間違ったことを書き続けているので、少し書く必要性を感じ
ましたから、その点について書いておきたいと思います。

海さんの書き込みには部分的には非常に深い洞察が含まれていて、海さんが頭のよい人であること
はわかるのですが、それらの洞察は決して特別なものではなく、仏教の世界では普通に言われている
ことなのです。ただし、(以前にも[786] で少し書きましたが)仏教では「二諦(真諦と俗諦)」
という重要な教えがあり、海さんが書いているような超越的な洞察はその二諦の一つである「真諦」
の話であって、それだけでは真理の全体にはならないということが重要です。

海さんの言う「病人は病気のままで完全である」というのも、昔から仏教でもよく言われていること
ですが、それは「真諦」での話であって、それを「俗諦」と混同してしまうと、「虫歯は虫歯の状態
で完全であるからそのままにしておいてよい」などという馬鹿げた結論になってしまいます。
「時間などない」「過去も未来もない」などもすべて「真諦」としては真理ですが、それを肉体の
ある現実世界に持ち込むのは間違いなのです。
(この「二諦」の概念は小乗仏教から大乗仏教へ転換する哲学的根拠としても重要なテーマですが、
求道者に観念遊びをする誤りを自覚させる為の教えでもあるのです。)

インド人のある宗教家が、Nirvana is the last nightmare.「悟りは最後の夢(悪夢)」と言ったのは
有名ですが、それは真実で「悟りからも目覚めなければならない」とは禅でもよく言われることですが、
the last(最後の)ということが非常に重要で、その最後の段階で達成されて初めて意味あるものになる
のです。ところが、その過程を省いてしまって最初から(または途中の段階で)「悟りを否定する世界」
に入ってしまうと、何か深い智慧がわかったつもりになっても、社会の中で普通に働いて生活することが
出来なくなるのです。それが「真諦だけがわかって俗諦がわからない」状態で、海さんの状態がまさに
それなのです。

海さんが普通に生活している人達を「バカ健常者」と呼ぶのは、海さんが真理を知っているからではなく、
片面の真理しか知らない為に普通の生活が送れないことから来るヒガミによるものなのです。
(海さんの思考内容は「深い洞察」と「ゆがんだ思考」が入り混ざっているので、今の海さんが普通に生活
して行くことは難しいだろうと思います。)  (続く)



[892] (無題)

投稿者: 投稿日:2018年 5月30日(水)19時04分49秒   通報   返信・引用

> 真理を得ることの方が大事だから、そんなのは気にしない。

これは、わたしに対して、失礼な事。
気にしてないけど、この意味がわからなければ進まないよ。
見返りありき。


わたしはもうこの場は卒業します。

さようなら。



[891] 最終的な答え

投稿者: 投稿日:2018年 5月30日(水)18時51分20秒   通報   返信・引用

世の中には、ない。
最終的な答えに生きれば、自分に他人がついてくるなんて事は、あり得ない。
真に一人歩きしてこそだからだ。

わたしには、あなた方は異世界すぎて、交われない。


あなた方はまだまだ学びを頑張ってください。



[890] 想念観察について

投稿者: 投稿日:2018年 5月30日(水)18時37分54秒   通報   返信・引用

これは、一つづつキャッチして、受け入れなければ消えない。
わたしはこれを永遠とやってきた。
想念をキャッチして受け入れる作業というのは、わたしが荒らしさんなどをスルーせずにキャッチし、一つづつ受け入れてきた作業と同じ。
自分の中で、想念をキャッチし、受け入れなければ、想念は報われない。
スルーでは、人は、癒される事はない。
わたしの神経症地獄は、想念をキャッチする作業。
雑念は、流すだけでは消えはしない。
雑念とは、自分の中にいる他人と同じ。
世間にある情報など、何の役にも立たない。
情報発信する人の情報には、我が反映してるからだ。
世の中には、我というフィルターを通した情報しか、ない。


終わりです。



[889] 犬さんへ

投稿者: 投稿日:2018年 5月30日(水)18時08分41秒   通報   返信・引用

管理人さんとHNさんには、猫の部分と犬の部分、わたしは両方見える。
HNさんの気まぐれさは猫だし、管理人さんは正反対。
わたしは、両方に、自分との共通点が見える。

イエスがああ言った、こう言った、誰々どうこうという話は、わたしはもうついていけない。


じゃあ元気でね。


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