神経症を治す掲示板第二  書き込み自由


カテゴリ:[ 健康/医療/介護 ] キーワード: 神経症 森田療法 対人恐怖


1338件の内、新着の記事から50件ずつ表示します。


[988] (無題)

投稿者: AZ 投稿日:2018年 6月 2日(土)12時17分30秒   通報   返信・引用

何だかんだ禅的森田に魂まで染まっててサイトまで作って禅の講義だの無だの翻訳だのやってる人には
到底宗教ラブで敵わない
魂まで染まってるから自分がカルト宗教の教祖なのに気付かないんだろうけど



[987] マドンナ

投稿者: 真美香 投稿日:2018年 6月 2日(土)11時58分27秒   通報   返信・引用

海ちゃんの声が聞きたい~



[986] 空しい話

投稿者: 管理人 投稿日:2018年 6月 2日(土)11時50分38秒   通報   返信・引用

仏教の話はマイスター・エックハルトと同じくらい空しい。話せば話すほど心の病は深まり、周りは白けるし、本人が一番空しく感じているのでは。

国家資格の件
自己満足には良いが、果たして役に立つかは別の話。資格を三つも四つも持っていて
さっぱり役に立たない人はそこいら中にいる。不動産関係の仕事をして、もちろん場合によっては資格が
必要だろうが、実際は諦めず、ひたすら努力をして、良い成績を残す人が会社で勝者になるでしょう。

TOEIC何点がその例で、日本人なら簡単にごまかせるが、外国に行ったら全然通用しない。TOEICの点数と
英語が話せるかどうかは全然別の話であり、どちらが大切かと言えば、もちろん英語をしゃべるのが大切なのです。



[985] 仏教の話し禁止

投稿者: likehell 投稿日:2018年 6月 2日(土)10時46分32秒   通報   返信・引用

と俺が言う権利はないんだけど。
マジつまんねーよ仏教ねた。
そんなのひとりで勉強してろ。



[984] (無題)

投稿者: AZ 投稿日:2018年 6月 2日(土)10時22分23秒   通報   返信・引用

やってることがまるで往年のるみかのようで
寒々しい思いになりました。



[983] (無題)

投稿者: AZ 投稿日:2018年 6月 2日(土)10時14分38秒   通報   返信・引用

犬さんの投げ掛けに対しては、こうくるでしょう。
・対立をおそれずに、時には正しいと思ってることを強く言う、言い合う。それでいいのです。宗教家たちはそうしてきました。
・私は悟りの入り口にある人間であって、
完全なる悟りとは程遠いまだまだ煩悩にまみれた人間なのです。
(しかし、悟りの入り口であっても神経症ほどの苦しみなら解消してしまうのです。)

((「輪廻し、来世も楽しみたいと思っています。」))(2級領域)

((1級というのは、その輪廻の話でyouさんから話のシャットダウンがなされますが、それを越えてその先に話を持っていって未知なる領域(youさんも未知)を掴んだ者のみに与えられる級となっております。
人間界には数名、霊界には閻魔さまなど多数と言われております。))

*しかしながら、youさんは身体が属性に過ぎないことを体感してからは、
身体で楽しむ音楽などに対して以前とは感覚が変わり、以前のようには楽しめなくなったということを言われています。
ですから普通の世俗的な人の煩悩に比べると実際に欲などの様相が違うというのはあるかもしれません。

・『対立だめ絶対!!(>_<)』
『おちょくり禁止!!(>_<)』
by原始仏教

・『わろたぴーぽー』
byAZ





[982] (無題)

投稿者: AZ 投稿日:2018年 6月 2日(土)09時55分47秒   通報   返信・引用

国家資格であるyouさん分析鑑定士2級である私が説明いたしましょう。
だいたい返しはパターン化されていますから、3級までは傾向を掴めば基準点を越えることは十分に可能です。
2級からは異常な粘着で議論した人でないと知り得ない領域が必要ですからなかなか難しいものです。
しかしながら3級や4級でも十分に機能しますから諦めないで勉強を続けることが大切です。



[981] AZさん

投稿者: 投稿日:2018年 6月 2日(土)09時10分35秒   通報   返信・引用

上手におまとめいただいてありがとうございます(笑)。



[980] youさんへ

投稿者: 投稿日:2018年 6月 2日(土)09時08分51秒   通報   返信・引用

ご返信ありがとうございます。

リンク先とても面白く読ませていただきました。

小乗仏教と大乗仏教との対立は、
大乗仏教が成立してから今日まで続いているものと思われます。

youさんは、大乗仏教のほうが、小乗仏教よりも優れているというお考えのようですが、
私個人的な意見としては、そのように優劣を付けること自体が間違っていると思います。

優劣を付けた時点で、そこには対立が起きます。

私の考えでは、
対立する状態が人間の自然の状態であり、
しかし、これでは、人間は永遠に救われないために、
対立を解消するための手段として、宗教の教えがあると思ってます。

私の考えでは、
本来であれば、小乗仏教だけで事足りたのではないかと思ってます。

しかし、釈尊亡き後、
教団は分裂し、お互いに対立するようになってしまった。

そのような対立を解消するために、
大乗仏教が出来たのではないかと私は思っていたりします。

法華経は、大乗仏教のひとつのようですが、
教団同士の対立を解消するために成立したとも聞いています。

そういうわけで、
大乗仏教の教えのほうが、小乗仏教の教えよりも、
幅広い真理を扱っているということは言えるのではないかと思います。

ただ、だからといって、
大乗仏教のほうが、小乗仏教よりも優れているというのは、
それこそ、大乗の教えに反しているのではないかと思います。

荷物がたくさん入る大きなバッグも、少ししか入らない小さなバッグも、
どちらが自分に合っているのかは、
それを使用する、我々個人個人が判断すれば良いのであって、
大きなバッグも、小さなバッグも、それぞれに有用性があるのではないのでしょうか?

何はどうあれ、
対立こそ避けなければいけないということを、
私は仏教から学びましたが、
youさんは、対立を促進しているような気がしてなりません。

そもそも、私がこうして、
再び、掲示板に書き込むことになったのも、
youさんが、この場に対立を持ち込んだからです。

来て、いきなり、
管理人さん、HNさん、私のことを、
「まだまだ途上の人間のようですね(私のほうが優れている)」という感じで、
乗り込んできました。
(管理人さん、HNさん、私が途上の人間だということは事実ですが、
それを言うなら、youさんも途上の人間だと思います)

そのあとも、雑用に励んでいる人を否定するような言動が続きました。

私はそれを読んで、「これは面倒くさいことになるな」と思い、

「この場所は雑用を一生懸命やることによって、
神経症を克服しようとするための人の場なので、
雑用を否定するようなことを言うことは、非生産的な議論が生じてしまう原因となり、
それは、現在、神経症に苦しんでいる人の足を引っ張ることになってしまいます」

というようなことを書かせていただきました。

海さんと私に共通しているのは、
この場所から対立を無くしたいということです。

神経症が治ったという人のほうが、
好んで対立をしてしまうというのは、本当に困ったことだと私は思っております。

皆さん、それぞれ自分自身の正解にこだわり、
それが一番優れていると思い込んでいることから、来るのだと思います。

でも、そうやって、対立してしまうことが、
今現在、神経症に苦しんでいる人の足を引っ張っていることに、
あなた方は気が付いていないのです。本当に嘆かわしいことだと思ってます。

>「仏教で神経症が治る」と言っているから、それは現世利益の宗教だと思っているのなら、

こんなことはまったく思っていないです。

>「苦をなくす」ことが仏教のすべてであって、「苦」と関係のない真理などは仏教にとっては
何の意味もありません。
>それはお釈迦様の原始仏教から始まって大乗仏教のすべての宗派に至るまで一貫していることです。
「苦をなくす為に仏教を学ぶ」のは極めて自然なことで、それ以外に仏教を学ぶ意味は何もありま
せん。

このことに関しては、まったくもって同意しております。

私が問題としているのは、
苦であるこの世界に適応するための手段として、
youさんは仏教を利用しているのではないかということです。

この世界では、
99%以上の人が、次から次へと快楽を求めて行動しています。
いわゆる煩悩のとりこになっているということです。

この状態こそが苦であるということは、
小乗仏教であろうが、大乗仏教であろうが、共通していることだと思ってます。

いわゆる神経症者と言われる人は、
普通の人が自然に行っている、このような快楽の追求が、
思うように出来なくなってしまっている人だと思います。

youさんが、教えていることは、
煩悩を消し去るための教えによって、神経症を治したあとは、
また、煩悩を追う生き方ができるようにさせるためなのではないかと、私は感じているのです。

そういうわけで、
youさんは、仏教の教えによって、
神経症は治ったけど、生き方のベクトル(煩悩を追い求める)はまったく変わっていないと、指摘させていただいたのであります。



[979] (無題)

投稿者: AZ 投稿日:2018年 6月 2日(土)08時33分33秒   通報   返信・引用

つまり私のほうからまとめさせていただきますと、
youさんは世俗の大事さのウェーブにいかに乗るのか、つまりリリーフランキーのような境地を目指せということになります。



[978] 犬さんへ

投稿者: you 投稿日:2018年 6月 2日(土)07時50分46秒   通報   返信・引用

>そして、youさんが言っておられることは、
>法華経の三車火宅の喩えで言えば、
>燃え盛る家の中で、世間的な価値を追い求め、快適な生活を送れるようにすることなのではないか、
>それは、仏教の教えに反することなのではないか、
>というのが、私の素朴な疑問なのであります。

???
一体、どこからそのような疑問が出て来るのですか?
まさか、「仏教で神経症が治る」と言っているから、それは現世利益の宗教だと思っているのなら、
それは犬さんが仏教の「ぶ」の字もわかっていないということになりますね。

仏教はただ意味もなく「真理」を追究したものではありませんよ。
「苦をなくす」ことが仏教のすべてであって、「苦」と関係のない真理などは仏教にとっては
何の意味もありません。
それはお釈迦様の原始仏教から始まって大乗仏教のすべての宗派に至るまで一貫していることです。
「苦をなくす為に仏教を学ぶ」のは極めて自然なことで、それ以外に仏教を学ぶ意味は何もありま
せん。神経症は「苦」の一つですから、仏教がわかるようになれば自然に神経症も消えて行くという
ことを言っているのですから、それを現世利益だと言うのはあまりに馬鹿げているでしょう。

犬さんは大乗仏教というものを、もっと勉強される方がいいと思いますよ。
大乗仏教と小乗仏教とでは、「悟り」の内容がかなり違っています。「大は小を兼ねる」では
ありませんが、大乗の悟りの中には小乗の悟りが含まれていますが、逆は、成り立ちません。
「悟り」の深さもスケールもまったく違います。

小乗仏教(原始仏教)というのは個人個人が自分を浄化して行って悟りに至ると考えますから
「汚れる」ことを嫌いますが、大乗仏教では「そのような個人があるという思いは幻である」
ことを最初に体験させる教えですから、「個人が汚れる」という概念がないのです。
世間とか世俗を低く見るような価値観も大乗仏教には基本的にはないと言ってよいでしょう。
お釈迦様が亡き後、原始仏教の教えでは悟りを開く者がほとんど出なくなったのに、大乗仏教
になってからは悟る弟子達がどんどん現われるようになったのも当然で、その深さもスケールも
全然違います。

http://www.omijo.com/syuuhen/tenjin.html

時間がなくなりましたから、また次回にでも。  では。



[977] まとめ

投稿者: 投稿日:2018年 6月 2日(土)02時09分45秒   通報   返信・引用

自分の中の知識は捨てましょう。
知識が邪魔をしている。
頭に詰め込んできた知識を捨てていく事が大事です。
知識を捨てれば実践だけが残る。

たまに顔出すaちゃんは何となく和む。

わたしはいい加減に一人旅に出ます。
みなさま、長らくお世話になりました。



[976] 海さんへ

投稿者: 投稿日:2018年 6月 2日(土)01時53分18秒   通報   返信・引用 > No.972[元記事へ]

やっと一人旅から帰ってきたんだね。お帰りなさい^^

> わたしが話してきたのは、世間の価値観から外れる+世間の価値観に留まる=ゼロ、の話。
> 人間は、世の中の人間の中に自分も紛れて生きる事に、最終的な幸せがある。
> 特別性は、そうしなければなくせない。

これはぼくも同感だよ。

金銭や名誉などの世間的な価値観に流されることなく、
世間の中に埋没して、のんびり暮らしたいよね。



[975] youさんへ

投稿者: 投稿日:2018年 6月 2日(土)01時43分24秒   通報   返信・引用

>犬さんが言っていることは仏教の出発点での考え方であって

仰る通りです。
ただ、私はこの出発点こそが大事なのではないかと思っているのであります。

>原始仏教から大乗仏教まできちんと学ぶ必要があります

確かに、仏教全体を理解するためには、
そうしないといけないのかもしれません。
ただ、私は仏教だけを勉強しているわけではないので、
たぶん、そこまでするのは難しいと思いますし、
知識を積み重ねることには、あまり意味がないと思っております。

youさんの仰る通り、
私は体系だって仏教を学んだことがありませんですし、
自分勝手な間違った理解をしているところもあると思います。

仏教の知識に関しては、
youさんの足元にも及ばないとも思っております。

なので、
間違った理解をしているところがありましたら、
いつでもご遠慮なく、ご指摘いただけたらと嬉しいです。

私は、自分自身の正しさにこだわっているわけではありませんので、
屁理屈をこねて、自分のことを正当化しようともいたしません。

自分よりもよく知っている人からは、
いつもできるだけ謙虚に学ばせていただきたいと思ってます。

そうやって、
管理人さん、HNさん、無我(you)さん、海さんや、
ほかには、仏教以外の人からもネット上でたくさん教えてもらってきました。

自分自身でも、
仏教始め、キリスト教などの宗教全般、ギリシャ哲学、神話や歴史、量子物理学などを、
自分勝手に学んできました。

すべてにおいて浅い知識だということは、自分でも認めております。

ただ、あらゆることを学んで分かったことは、
全てにおいて、一致している点は、

「この世界は幻想、夢であり、心がその原因であり、誰もがこの夢から目覚めなければならない」

「幻想、夢であるこの世界は狂った世界であり、この世界に価値を置いている限り、人は決して幸福を見出せることはない」

ということです。

私のこのような理解が、

「世間的価値観を良しとしている限り、決して、人は幸せになることはない」

と主張することに繋がっております。

そして、youさんが言っておられることは、
法華経の三車火宅の喩えで言えば、
燃え盛る家の中で、世間的な価値を追い求め、快適な生活を送れるようにすることなのではないか、
それは、仏教の教えに反することなのではないか、
というのが、私の素朴な疑問なのであります。

>仏教の最も基本である「四諦」を知らなかったり、

四諦の教えは知ってます。
それが、苦はなくなるという教えだということも。
でも、般若心経では、苦はなくなることはないとあり、
それが私にとって、ちょっとした疑問だったのです。

それで私としては、

「苦はなくなるのだけれど、それには大変な年月が必要だから、
今世においては、苦はなくなることはないと考え修行に励むべし」

と解釈しました。

仏教でいう苦は、生老病死ですが、
病気や死を苦と感じなくなるなんてことは、並大抵のことではありませんよね。

>犬さんが書いているような解釈は小乗仏教(上座部仏教)の考え方であって、今はもうマイナーな
過去の遺産のような考え方なのです。

ということですが、
アルボムッレ・スマナサーラ長老は、逆に、

「日本の仏教は釈迦の死後かなりたってから編纂された大乗経典に基づくため、釈迦のアイデアが旨く伝わっていない部分がある」

と述べているようで、
スマナサーラ長老が、上座部仏教を日本に紹介したら、
それが日本でもとても広く受け入れられることになったというのが、私は面白く思いました。

日本仏教界において、これはスマナサーラショックとも呼ばれているようです。

今日本では、ちょっとした仏教ブームのようですが、
これには、スマナサーラ長老の存在が大きいようです。

つまりは、日本仏教ばかりだった時代は、
仏教は難しいということで、
熱心に仏教を学ぶ人は少なかったということで、
youさんのように、仏教によって心の悩みから救われる人は、少なかったようです。

なので、youさんが上座部仏教をマイナーで過去の遺産のようなものと言うのは、とても失礼なことだと思いました。

youさんにはyouさんの信じるところがあるとは思いますが、
ほかの人が信じているものを、こうやって平気で貶めるようなことを言ってしまうところは、
youさんの良くないところだと思います。


>原始仏教や上座部仏教は出家者(世捨て人)の為の宗教で、彼らの生活を支えるために(修行をしない)
一般信者の存在を必要とする時点で、もう「すべての人を救う宗教」としては失格だったのです。

このことに関しては、なるほどなあと思いました。

ただ、スマナサーラ長老は、

「お釈迦さまの根本の教えを通じて、仏教とは今この場で役に立ち、自ら実践し理解する智慧の教えであると」

言っておられるようです。

いろいろな考え方がありそうです。



[974] 今の全てに完璧性(神)を見る

投稿者: 投稿日:2018年 6月 2日(土)01時30分36秒   通報   返信・引用

こうなれば、全ての存在が神と同じである為、教えを残そうなどとは思わなくなる。
既に完璧な神(全ての存在)に対して教えを残しても意味がありません。

どちらが正しいかという議論、いい加減になさったらどうかしら。



[973] 世の中にある教えというもの

投稿者: 投稿日:2018年 6月 2日(土)01時18分6秒   通報   返信・引用

これらは、自分とは相反する答えを持つものを必ず創造する為、教えというものを残す行為は、対立世界を創造する事になる。



[972] バランスが大事

投稿者: 投稿日:2018年 6月 2日(土)00時58分45秒   通報   返信・引用

わたしが話してきたのは、世間の価値観から外れる+世間の価値観に留まる=ゼロ、の話。
人間は、世の中の人間の中に自分も紛れて生きる事に、最終的な幸せがある。
特別性は、そうしなければなくせない。



[971] 犬さんへ

投稿者: 投稿日:2018年 6月 2日(土)00時26分59秒   通報   返信・引用

承認欲求を完全に捨てる道の途中ではね、誰かと分かり合える道にはならないんだよ。
それが自分で立つという事。
仏教お化けは、ただのカテゴリーお化けです。
世の中にある学問の一つ。
自分が勝ちなら相手は負け。
立ち位置が反対にしかならない為、ワンネスと対極の世界に生きる人達です。
教えなどを残す人がいるから、このような世の中になる。
これも全ては教えの発信源の人が創造したものとも言え、教えという我を発信するから世の中の対立世界が終わらない。
人はそれぞれ自分の現実は自分で創造しており、住んでる世界が違うだけであり、世の中には間違った生き方というのはない。
正解も間違いもなく、人はそれぞれの正解に生きている。
全ての存在は、人それぞれ自分の現実を創造している神とも言える。

ではわたしは先に旅に出る。
犬さんもあまり長居しないで進めたらいいけどね。


後戻りのない旅に進もう~(^^)/~~~



[970] 犬さんへ

投稿者: you 投稿日:2018年 6月 1日(金)23時47分41秒   通報   返信・引用

[968]
犬さんが言っていることは仏教の出発点での考え方であって、仏教はそれで終わるような単純な宗教
ではありませんよ。
犬さんは「正師」について仏教を学んだことがないので、自分勝手な理解をしているだけなのです。
なぜ、あのような膨大な量の大乗経典が作られる必要があったのかが理解できなければ、仏教の全体
を理解することはできません。(原始仏教から大乗仏教まできちんと学ぶ必要があります。)

何よりも、犬さんの仏教理解は間違いだらけですね。

仏教の最も基本である「四諦」を知らなかったり、
般若心経の中の 「無無明 亦無無明尽」についても自分勝手なデタラメな解釈をしていましたね。

そのような状態で、自分が正しい仏教がわかっているなどと思うのは、海さん以上の思い上がり
と言ってよいでしょう。

(時間がないので詳しくは書けませんが)
犬さんが書いているような解釈は小乗仏教(上座部仏教)の考え方であって、今はもうマイナーな
過去の遺産のような考え方なのです。

原始仏教はお釈迦様が亡くなられてからは「悟り」を得る修行者がどんどん減って行って衰退して
しまいました。なぜでしょうか? それは、原始仏教のような考え方で修行者が悟りを開くには
お釈迦様が不可欠だったのです。だから、お釈迦様の滅後は急激に悟りを開く者がいなくなって
仏教教団は虫の息になってしまったのです。ところが、一部の悟りを開いていた弟子たちが、全く
新しい解釈(深化させた解釈)を発見すると、それによって悟りを開く弟子達が急に増えて行って、
やがてインド全土に仏教が広まって行ったのです。それが「大乗仏教」です。

原始仏教や上座部仏教は出家者(世捨て人)の為の宗教で、彼らの生活を支えるために(修行をしない)
一般信者の存在を必要とする時点で、もう「すべての人を救う宗教」としては失格だったのです。

大乗仏教は、普通の生活をしながら誰もがお釈迦様と同じ「絶対自由」の世界に入れる教えですから、
それが「お釈迦様の真意」であるという考え方が、インドでも紀元2~3世紀からは主流の考え方に
なりました。

犬さんが思っているような「世間的価値観うんぬん」は全く的はずれな発想なのですよ。



[969] 対人恐怖が全くなく

投稿者: 猫仙人 投稿日:2018年 6月 1日(金)23時17分27秒   通報   返信・引用

対人恐怖が全くなく参考になる。
https://www.youtube.com/watch?v=uwZT8c_I2pw



[968] youさんへ

投稿者: 投稿日:2018年 6月 1日(金)19時51分52秒   通報   返信・引用

なんだかお互い平行線みたいですね。

youさんの言われる仏教は、
世間的な枠内に留まるための仏教であり、
私が言う仏教は、
世間的な枠から外れるための仏教なので、
お互い平行線なのも当然だと思います。

神経症というのは、
世間的な価値観にがんじがらめになることで、発症するのだと思ってます。

私としては、
そのような世間的価値観から解放されるために、
仏教を学んだほうが良いと思っているのですが、
youさんの場合は、神経症を治し、世間の価値観の中で生きられるようにするために、
仏教を学んだ方が良いと思っておられるようです。

私が、youさんに対して、失礼を承知の上で、
仏教はyouさんの生き方を劇的なまでには変えなかったと言ったのも、
神経症で苦しんでいるときと、神経症が治ったあとでの生き方のベクトルが、
まったく変わっていないように感じたからです。

世間的な価値観に過剰なまでに適応しようとしたことで神経症になり、
人並外れたものすごい努力で神経症を治したあとも、世間的価値観を良しとされている。

世間的価値観を良しとされている点では、
神経症のときも、神経症が治ったあとも、youさんの生き方はまったく変わっていないように感じます。


世間的価値観に照らせば、お釈迦様なんて、社会に適応できないまったくのろくでなしですよ。

そのようなお釈迦様のことを尊敬されていながら、
世間的価値観を良しとされるというのは、私としては残念に思えてなりません。

人にとって、どうして宗教が必要かと私が思っているかと言いますと、
それは、宗教を学ぶことで、価値観の大転換を引き起こしてくれるからです。

例えば、
親鸞聖人の、「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」というのも、
世間の価値観とは正反対です。

また、有名なイエスの山上の垂訓も、
世間の価値観とはまったくの正反対です。

「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである。

あなたがたいま飢えている人たちは、さいわいだ。飽き足りるようになるからである。

あなたがたいま泣いている人たちは、さいわいだ。笑うようになるからである。

しかしあなたがた富んでいる人たちは、わざわいだ。慰めを受けてしまっているからである。

あなたがた今満腹している人たちは、わざわいだ。飢えるようになるからである。

あなたがた今笑っている人たちは、わざわいだ。悲しみ泣くようになるからである」


これが、宗教を学ぶ醍醐味なのではないかと私は思うのであります。



[967] (無題)

投稿者: AZ 投稿日:2018年 6月 1日(金)17時15分0秒   通報   返信・引用

すみませんリンクを間違えました
こちらが正式なリンクとなりむす

https://youtu.be/pI655kx-_88



[966] AZ さんへ

投稿者: 管理人 投稿日:2018年 6月 1日(金)11時43分18秒   通報   返信・引用

エピジェネティックスとは遺伝子と体が双方向に影響し合っていると言う新しい遺伝学です。
実は精神病においても同じことが言える。脳と体は双方向に影響をしあっているのです。
ただ、ここに書き込んでいる人は脳から体への一方通行ですが、斎藤や健康な人達は双方向を
実践している。故に、迷った時、不安になった時は筋肉に質問している。直ぐ立ち上がって
周りの雑用を処理しながら考えていると答えが不思議と出ている。



[965] ( ̄^ ̄)ゞ

投稿者: 投稿日:2018年 6月 1日(金)10時54分54秒   通報   返信・引用

good d( ̄  ̄)
これにて、1人旅に出ます(^^)/~~~



[964] (無題)

投稿者: AZ 投稿日:2018年 6月 1日(金)10時20分53秒   通報   返信・引用

本当は明かしたくなかったのですが、ある情報筋から動き雑用の知られざる真実、本物を知る機会がありましたので特別に紹介します。
これはエピジェネティクスの秘密にも迫るものであり大変なる最新の情報です。
斎藤氏の長年の研究の成果が本当に花開くことになるかもしれません。
スイスのジュネーブの会合で、動きの
とっとにかくこちらがそれです。
速攻で削除されるかもしれません。
https://youtu.be/u0H7TlpUzHg



[963] 犬さんへ

投稿者: 投稿日:2018年 6月 1日(金)07時34分34秒   通報   返信・引用

自分が掘れる穴というのは、ある意味では、決まっているんだよ。
人にはそれぞれに必要な縁が違う。
だからその見極めや引き際も大事^ ^

じゃあね(^^)v



[962] わたしの神経症について最後に書いておこう

投稿者: 投稿日:2018年 6月 1日(金)07時27分20秒   通報   返信・引用

昔、仕事をやめた時からの話。
今の状況は全く違いますが、十数年前の話。

どのような状態かの細かい説明は出来ませんが、簡単に説明すると、わたしは、今いる部屋から隣の部屋に行こうと思い立ったところから、隣の部屋にたどり着くまでに数時間を要するような状態でした。
トイレに行こうと思い立ち、トイレにたどり着くまでに、身体の限界を感じるところまで動けない、なども。
お風呂については、ある意味、一番の修行であり、お風呂にたどり着くまでに、半月など。
このような状態ですと、お風呂に入った際の浄化作用というのも物凄く感じられます。
今の状態ではなく、昔の話です。
今は昔とは違うのでボチボチ無理なく仕事してますが、昔仕事をしている時は上記に書いたような状態に我慢させて働いていた為、限界がきて仕事を辞める事になりました。
昔働いていた頃はどういう生活だったかというと、睡眠はほぼとれず、朝は2時間半かけて歩いて職場に行き(電車怖くて)、フルタイムで働き、帰りは友達とのお付き合いなどをし、いつもではなかったですが、帰りも歩いて2時間半です。
この頃には、完全に身体と自分が分離したようになっており、何時間歩いても身体の疲れは感じなかった。
今は全く違いますので、昔の話です。
このような感じでしたが、学び学びに生きておりそこに喜びがありましたから、自分の苦しみに対して本当に気づけたのは、仕事をやめてからです。
治したいと思える隙すら(自分から)与えてもらえなかった、というのがわたしが生きてきた神経症。
苦しかなかった為、自分の中から比較の世界が消えました。

とにかく、わたしの周りはいつも平和です。

犬さん、わたしは、人間視点から見た場合の、怠け者を極めただけ。
凡夫なんたらとか言うのは、そろそろやめにしようね。
差別用語に聞こえるよ。


まあ、よくわならないかもしれませんが、とりあえずこんな感じでした。



[961] Azさんへ

投稿者: you 投稿日:2018年 6月 1日(金)07時25分14秒   通報   返信・引用

Azさんには、もう過去に膨大に話してあげたと思いますよ、2chで。
(Azさんはいつも反対意見ばかり言っていましたね。)
今、日中はずっと忙しいので、時間ができれば、また元のスレに
戻ります。 では。



[960] 犬さんへ

投稿者: you 投稿日:2018年 6月 1日(金)07時15分55秒   通報   返信・引用

今日は、これから出かけますから、夜遅くなるまでは書き込めません。
では。



[959] 犬さん

投稿者: you 投稿日:2018年 6月 1日(金)07時12分9秒   通報   返信・引用

Re:[956]
犬さんは、5chのメンタルヘルス板の神経症で悩んでいる人達の書き込みを
沢山読んで、現在、神経症・強迫観念などで苦しんでいる人達の生の声を
知った方がよいと思いますね。
あちこちのスレで犬さんの「そのような考え方」を書き込んでみて、そこの
住人達の反応を観察してみるのがよいでしょう。

私から見れば、犬さんの神経症への考え方は、本質面でも治療面でも
実態から大きくズレていますよ。
その大きな原因は、犬さんが悩んだ対人恐怖が緊張を中心としたもの
で、妄想性のない症状だったことにあると思います。
ですから、5chでは、「視線」「脇見」「強迫」などのキーワードで
ひっかかるスレ(異常な妄想を持っている人が多いスレ)に行ってみる
のがよいと思います。

もう一つ、犬さんの家庭が裕福で、働かなくても経済的に困らない状況
にあることも、犬さんの神経症への考え方に大きく影響しているように
思われます。


>本当の意味で、神経症が治った人というのは、
>もっと人に対して、優しくなるのではないでしょうか。

今の犬さんにはわからないと思いますが、実は、そのように感じることが
神経症なのです。いつも人に過剰な優しさを求めていることが、多くの
対人恐怖の人達に共通する病的な心理です。ですから、その病的な心理を
健康なものだと思っている限り、対人恐怖は治らないのです。

鈴木知準氏も厳しかったでしょう。森田先生も厳しかったようですし、
水谷先生の夜の講話の時などは、強く叱られて泣き出す女性患者もよく
いたものです。

[958]
>みんな同じじゃないですか、ということです。

そこが考え違いをしやすいところですね。本体はもちろん同じですよ。
ところが「神経症」が関係している自我意識は異なっています。
異なっているから、「治った人」と「治っていない人」に分かれるのです。
社会で普通に「働ける人」と「働けない人」に分かれてしまうのです。
上とか下とかではなく、異なっているのです。



[958] youさんへ

投稿者: 投稿日:2018年 6月 1日(金)06時43分12秒   通報   返信・引用

私が言いたいのは、
youさんや管理人さんたちのほうが、私たちよりも優れているとか、
私たちのほうが、youさんや管理人さんよりも優れているとかいうのではなく、
みんな同じじゃないですか、
ということです。



[957] Re: 犬さんへ

投稿者: 投稿日:2018年 6月 1日(金)05時38分9秒   通報   返信・引用 > No.948[元記事へ]

> 耳が痛いというのは、自分がそれを認めたって事だよね。
> だから、他人が自分を傷つける事は出来ないってなるよね。

あははは。
その通りなんだけどね。

でも、凡夫は、そうはいっても、
痛いところを突かれると、怒ってしまうものなのです(笑)。



[956] Re:youさんへ

投稿者: 投稿日:2018年 6月 1日(金)05時34分56秒   通報   返信・引用

> それは現実には難しいこと(不可能なこと)でしょう。
> 中学生が神経症を発症したら直ぐに学校をやめて、引きこもりの生活に入れ、
> と言うのですか? そんなことをすれば家庭での問題も大きくなり、かえって
> 大変なことになってしまいますね。

youさんが体験されたことを決して、軽視するつもりはないのですが、
youさんのこの答えを読んで、このような世間一般的な凝り固まった考え方が、
youさんの症状を重くしてしまったと感じました。

世間に無理に適応しようとして、神経症を発症させて苦しい思いをしているのなら、
学校をやめ、引きこもるほうが、よっぽど良いと思います。

引きこもりを悪ととらえるから、
引きこもる子供たちが苦しくなってしまうのだと思います。

できるだけストレスのない環境に身を置いてから、
また次の選択肢を考えれば良いのではないでしょうか。

たとえば、今では、
そのような、普通の学校に馴染めなかった生徒たちが行く、
特別学校もあると言います。

神経症になると、
「自分だけが周りと違う」という疎外感を感じるようになりますが、
もし自分と同じような悩みを抱えている人たちと一緒になれば、
それだけで、心は軽くなると思います。
特に子供の心は大人よりも柔軟です。
それだけで、神経症の症状はなくなってしまうかもしれません。

ただ、今でこそ、
精神障害に関しての理解は世間でも広まりつつあると思いますが、
youさんの時代においては、精神障害に関する世間の偏見は、
今よりも大きかったと思います。

なので、youさんが追い込まれてしまったのも、
致し方なかったのではないかと思いますし、
なんで、そのとき逃げなかったのですか?と軽々しく言うつもりは決してありません。

ただ、世間のほうが狂っているんです。

その世間から逃げて、どうしていけないのでしょうか。

神経症は恥ずかしいことだから、
世間に合わせるために、絶対に治さないといけないもの、
そういう考え方は、管理人さん、HNさんにも見られますが、
私としては、そのように考えること自体が、
現在、神経症で悩んでいる人たちに対して、とても残酷なことをしているのではないかと思うのです。

そういうことから、
私は、いわゆる神経症が治った人たちとぶつかってしまうのだと思ってます。


> 風邪の場合で考えてみればどうでしょうか?

繰り返しで恐縮なのですが、
風邪をこじらせてしまったのは、youさんご自身の考え方ではないでしょうか。


> 特に競争も何もなくても、思春期に性に目覚めるだけで異性恐怖・対人恐怖になる人も
> たくさんいますよ。


この世界は主に競争原理で動いており、
誰もが多かれ少なかれ、競争意識を抱えて生きざるを得なくなっております。
この競争意識こそが、
対人恐怖の原因なのではないかと私は思っております。

誰もが、自分が人よりも劣っていると感じることを恐れているのではないでしょうか。

そういうことから、
この世界そのものが、神経症世界であり、誰もが多かれ少なかれ、対人恐怖を抱えていると、
私は最初から言っているのですが、
海さん以外に、このことに賛成してくれる人はいず、
だからこそ、健常者、神経症者というカテゴリー分けが生じ、
神経症が治った人の中には、神経症者を平気な顔で罵倒してしまうようなことになるのだと思ってます。

ここで神経症が治ったという人も、
いわゆる神経症苦は少なくなったとは思いますが、
でも私から見ると、依然として神経症の症状抱えているように思います。

本当の意味で、神経症が治った人というのは、
もっと人に対して、優しくなるのではないでしょうか。



[955] (無題)

投稿者: AZ 投稿日:2018年 6月 1日(金)04時26分19秒   通報   返信・引用

>「本物の仏教者を探して会いに行って下さい」
>「本物の仏教書」

もうちょっと具体的におなしゃすね
無理ゲーすぐるね
「言葉のシャワー」のお試し会員用の何かURLとかユーチューブとか本とか何かあるでしょ。
それで感じるものがあればそこから辿るみたいなこともあるだろうが、ノーヒントはちょと、。
物凄い壮大なことを語ってお薦めしといて「続きは
『本物』を探せ」って、
おいおいあんたは本物じゃなかったのかと。

>輪廻については、Azさんが尊敬している鬼和尚

してないす。



[954] 犬さんへ

投稿者: 投稿日:2018年 6月 1日(金)04時05分56秒   通報   返信・引用

>  そのためには、無理に社会に適応しようとするよりも、
学校をやめたり、会社をやめたりしたほうが、断然良い選択になるような気がしてます。


わたしもそう思う。
学校やめたり会社やめるタイミングというのも、人それぞれの状況によって違うけど、人は、プライドを捨てる事さえ出来れば、自分が生きていける道は確実にあるものだから。
例えば、今の世の中、いい歳して自活出来ていないのは恥ずかしいなどと言ったりするけど、本来、自立には定義はなく、世間の言う事(価値観)に流されるのは、ただのプライドであり、このようなプライドを手放せれば、生きていける道はなくなる事はない。
それほどまでに苦しいのであれば、生活保護にお世話になってでも、生きる道は作れます。
それが出来ないというのがプライドによるものであり、プライドを大事にしていると、生きる為の道が見えなくなり、無理をする事により逆に行き詰まってくる。
人は、手放すものを手放せば得られるようになっている。
というか、循環します。
自分の時間が欲しければ、働く時間を減らす代わりに、その分のお金を使わなければいい。
このようにして時間は確保出来る。
ただ、自分の意識の中から、真に、物への執着心をなくしていければ、の話。
自分の現実は自分の意識状態が投影されて創造されているから。

という感じかな。



[953] 人はみな既に救われている

投稿者: 投稿日:2018年 6月 1日(金)03時32分45秒   通報   返信・引用

これに生きてこその平等意識。
既に救われているというのは、相手の今の状態に対して、既に完璧性を見て生きるという事。
人はみんな、今の自分になる為に生きている。

苦しみに軽傷や重症をつける行為は、人の価値に優劣をつける行為。
苦しみという表層部分だけを見て生きると、情に流されるようになり現実が見えなくなる。
例えば、時に人は、苦しんでいる人を置き去りに自らの幸せを優先する事があるが、ある意味では、これは正しい生き方。
人の価値に優劣がなくなれば、苦しんでいるから、とかいった条件で人と向き合う事がなくなる為、神経症者だからとか、健常者だから、とかいった条件が自分の中から消える。
苦しみに優劣があると言う人は傲慢にしかならない。
これだけの苦しみを乗り越えてきた自分は偉いだろう、などといった在り方でしか人に向き合えなくなります。
神経症は敵だからさっさと治すべき、という発想自体が、人に対して差別意識を向けることになり、相手に苦しみを与えることになるという事に、いい加減に気づいて欲しいものですね。
相手への哀れみこそ、相手の今を尊重出来ていない証拠です。
人の自覚意識がどう認識しようと、人はみんな、自分の今の状態は自分が選択して起こしている現実に生きており、その選択を尊重して受け入れる事が先になければ、人は本当には救われない。
このような、救われていない人間が、人と対立するような現実を創造する。



[952] 犬さんへ

投稿者: you 投稿日:2018年 5月31日(木)23時14分24秒   通報   返信・引用

[946]
>いわゆる普通の生活をしようとすることを諦め、
>症状があっても生活できるような環境に身を置くことを最優先に考えて、
>人生を送っていたら、

それは現実には難しいこと(不可能なこと)でしょう。
中学生が神経症を発症したら直ぐに学校をやめて、引きこもりの生活に入れ、
と言うのですか? そんなことをすれば家庭での問題も大きくなり、かえって
大変なことになってしまいますね。

風邪の場合で考えてみればどうでしょうか?
軽い風邪を引いたぐらいでは誰も仕事は休みませんから少し無理をして仕事に行くものですが、
その結果、少し熱が高くなるだけの人もいれば、どんどん酷くなって肺炎になる人もいます。
その両者は最初は同じ状態だったのですが、だからと言って、「少し熱が高くなっただけの人」と
「肺炎になった人」は、最初は同じだったのだから両者に軽症・重症の区別はないと言うのは
おかしいですね。現在の状態をきちんと見るべきですね。

>競争原理で動いているこの社会の中で、
>自分が持っている能力以上に抜きんでようと過度に努力したことが、
>神経症が発症する原因ではないかと思ってます。

それは一部の人だけの話でしょう。(犬さんの場合はそうだったのですか?)
特に競争も何もなくても、思春期に性に目覚めるだけで異性恐怖・対人恐怖になる人も
たくさんいますよ。

[949][950][951](海さんの妄想理論に対して)

癌を解明して癌患者の為に役に立とうとすることは出しゃばりなのかな?
神経症は心の癌のようなものですよ。
お釈迦様は心の病を治す「医王」と呼ばれてきたのですよ。

お釈迦様の教えは否定して、自分の妄想理論は神様の言葉だとでも思っているのかな?



[948] 犬さんへ

投稿者: 投稿日:2018年 5月31日(木)21時44分59秒   通報   返信・引用

> 耳の痛いところを平気で突いてくるので苦手だったんですよね。

耳が痛いというのは、自分がそれを認めたって事だよね。
だから、他人が自分を傷つける事は出来ないってなるよね。



[947] Re: 海さんへ

投稿者: 投稿日:2018年 5月31日(木)21時14分21秒   通報   返信・引用 > No.942[元記事へ]

> わたしが以前に話したスピリチュアルブログは、わたしから見たら、自分しか見えてないんだなあと思うけど、このブログを仲間としてる人達には、わたしの見方とは違うように見えてるから。

あのブログ、
海さんに紹介してもらったときは、
たまに見ていたんだけど、
自分には雰囲気が合わなかったみたいで、すぐに見るのはやめちゃったな。

人間、自分に合わないと思ったのは、
執着なしに、すぐ去れるものなんだよね。

少し前に、海さんが、

「執着するということは、そこに自分にとっての学びがあるということ」

みたいなことを言っていたけど、ぼくも同感。

心の奥底では、
自分に何が必要なのか分ってるのかもしれないね。


> あと、縁もね、自然な流れなので、相手の為に、とか気を使わなくていいよ。


おかげさまで、
今は誰かのためにということは、
あまり考えなくなったかな。

自分のことに集中することが一番だと思うようになったよ。



[946] Re: youさんへ

投稿者: 投稿日:2018年 5月31日(木)20時55分48秒   通報   返信・引用

> それを読むと、犬さんの神経症は軽いのだろうと思いますね。
> 私自身ががひどかった頃のことを思い出しても、生活不能になって生きていけないような
> 重症の神経症の人なら、「神経症という苦しみがあるからこそ、幸福を感じることができ」
> などという悠長な考え方をすることはできないと思いますよ。

まず最初にお断りさせていただきたいのですが、
私はyouさんが神経症を克服された際の経験を、
決して、否定しているというわけではないということです。

youさんが経験されたことを100%尊重させていただいた上で、
私の意見を述べさせていただきたいのですが、
それは、神経症に軽症も重症もないのではないかということです。

私は神経症が発症する原因のひとつとして、
完全には適応することが決してできないこの社会に対して、
過度に適応しようとしたことだと思ってます。

言葉を変えていえば、
競争原理で動いているこの社会の中で、
自分が持っている能力以上に抜きんでようと過度に努力したことが、
神経症が発症する原因ではないかと思ってます。

なので、
対人恐怖の人であれば、
その症状を克服し、社会に適応しようとするよりも、
出来る限り、対人関係を避けることを優先したほうが良いのではないかと思います。

この点に関しては、
管理人さんが、人との接触が少ないトラックドライバーという職業を選んだことが、
神経症克服に繋がったことが参考になると思います。

この点において、
恐怖突入を指導した森田療法は決定的に間違っていたと私は思います。

出来るだけ、自分がリラックスして、
落ち着ける環境に身を置くことを最優先にして、努力すべきと思ってます。

そのためには、無理に社会に適応しようとするよりも、
学校をやめたり、会社をやめたりしたほうが、断然良い選択になるような気がしてます。
お釈迦様でさえ、
妻子を残して、城から逃げてしまったのです。
神経症になったら、
もう無理はできないと心得るしかないと思ってます。
私は、神経症者は「逃げる」ということをお釈迦様から学ぶべきではないかと思ってます。

そして、youさんの症状なのですが、
私の勝手な個人的考えになりますが、
youさんが、過度に社会に適応しようとして、
治さないと、治さないとと焦ってしまったことが、
症状を重くさせてしまった原因なのではないかと思うんです。

もし、youさんが、いわゆる普通の生活をしようとすることを諦め、
症状があっても生活できるような環境に身を置くことを最優先に考えて、
人生を送っていたら、それほど重症化することはなかったように思うのですが、
いかがでしょうか?


> 犬さんは非常に人の影響を受けやすいようで、

確かに、そういうところあります(笑)。

海さんに限らず、youさんにも、管理人さんにも、HNさんにも、
その他、大勢の方に影響を受けました。

ただ、海さんに関しては、
出会ってからもう何年もの間はずっと、犬猿(猫)の仲だったんですよね。
長い間、海さんの書き込みなんて全然見たくなかったので、
いつもイライラさせられていました。

海さんって、
相手が書いていることをしっかり読んだうえで、
その人にとって、耳の痛いところを平気で突いてくるので苦手だったんですよね。

でも、今では、
そのような海さんの指摘は、穏やかな気持ちで受け取ることができるようになったのでした。



[945] 犬さんへ③

投稿者: 投稿日:2018年 5月31日(木)20時23分9秒   通報   返信・引用

人の苦しみや幸せはね、比較は出来ないよ。
自分がいかに苦しんできたかは、自分が理解してあげれば良いので、他人に反論する必要ないよね。
比較なんか出来ないしね。
みんなね、他人を利用して自分を承認しようとするけど、これが人間関係に問題起こすよね。



[944] 犬さんへ②

投稿者: 投稿日:2018年 5月31日(木)19時56分19秒   通報   返信・引用

> 「もし神経症にさえならなかったら、今頃は…」

わたしは、これは、ある意味では、思った事がない。
他人になりたいとかも思った事ない。
不思議かな^ ^
わたしがネットで理解されないのはね、わたしの世界に共感出来る人がいないだけであって、問題はないよ。
人間関係は、破れ鍋に綴じ蓋。
ここに口出しする人というのは、ただの子供だからね。
まあ、実生活では今の職場の人間関係も何の問題もないし、職場移るたびに良くなるし、人間関係悩む事も全くないしね^ ^



[943] Azさんへ

投稿者: you 投稿日:2018年 5月31日(木)19時42分37秒   通報   返信・引用

Azさんの疑問は、すべて「本物の仏教者」に会ったことがないから出て来る疑問ですね。
「本物の仏教者を探して会いに行って下さい」と何度もAzさんには言っているのに、
Azさんはそれをしようとはせずに、いつも同じ質問を繰り返しているようですね。

また、「本物の仏教書」については森田スレや無我スレで何度も紹介しているでしょう。
ただ、書物にも相性というものがあるので、各自が仏教書専門の古書店などに行って、実際に
手に取って読んでみるのが一番よいと思います。
(最近はネットで購入できるものもありますが、中身がわからないまま高価な本を購入して
自分に合わなければお金の無駄になってしまいますから。)

輪廻については、Azさんが尊敬している鬼和尚も「(完全な悟りを得るまでは)存在する」と
言っていますね。お釈迦様のように完全な悟りの意識になれば輪廻はしないでしょうが、それは
普通の人には当てはまらないでしょう。
鈴木大拙博士もご自身の死後のことを尋ねられた時に、「自分は死んだら犬に生まれ変わるか
猫に生まれかもわからん。ただ、そんなことはどうでもよいと思えるようになった」と答えて
います。鈴木大拙博士の悟りはお釈迦様ほどではないので、(お釈迦様とは違って)輪廻され
ている可能性があると思います。



[942] 犬さんへ

投稿者: 投稿日:2018年 5月31日(木)19時36分38秒   通報   返信・引用

> ぼくが宗教の話や哲学の話もするときもそうだったのかな。
だとしたら、恥ずかしいね。


これは違うと思う。
みんなお互い様を生きてるから、間違った事はないよね。
お互い様だから、共感出来る人にとっては見え方も違うでしょ。
わたしが以前に話したスピリチュアルブログは、わたしから見たら、自分しか見えてないんだなあと思うけど、このブログを仲間としてる人達には、わたしの見方とは違うように見えてるから。
まあだから、基本的には、破れ鍋に綴じ蓋の人間関係に対して、第三者が口を挟む必要はないなあと思うんだよね。
色んな段階通るけど、全部必要な経験だよね。
ここでは、ある意味、わたしが一番恥ずかしいよ。

あと、縁もね、自然な流れなので、相手の為に、とか気を使わなくていいよ。
わたしもね、書きたくて書いてるから、というより、自分の選択で書いてる自覚と共に書いてるから。
自分の選択は全部自分がしてるからね。

あはは^ ^



[941] Re: 犬さんへ

投稿者: you 投稿日:2018年 5月31日(木)19時35分30秒   通報   返信・引用

[910]
>私としては、「神経症を治す」という発想自体が間違っていると思っています。
>神経症を治すというのは、
>神経症のままだと不幸だから、治すという発想になるのだと思います。
>私は、神経症という苦しみがあるからこそ、幸福を感じることができ、
>また霊的にも進歩できるのではないか、そのように思っております。

それを読むと、犬さんの神経症は軽いのだろうと思いますね。
私自身ががひどかった頃のことを思い出しても、生活不能になって生きていけないような
重症の神経症の人なら、「神経症という苦しみがあるからこそ、幸福を感じることができ」
などという悠長な考え方をすることはできないと思いますよ。

「神経症はこのままでいいのではないか?」というのは、軽症の人だけに通用する考え方
でしょう。(資産があって一生働かなくても安泰に暮らせる人の中にも、神経症は必ずしも
治さなくてもよいと考える人はいるでしょう。)

しかし、重症で自殺も考えているような人にとっては、神経症は治さなければならない「病気」
です。「痛くて我慢ができない虫歯」と同じなのです。
そういう人にこそ、是非「本物の仏教者」に会って直接の指導を受けもらいたいというのが
私が思いなのです。

>私が問題だと思っているのは、
>仏教は、youさんの人生観を劇的なまでには変化させなかったのではないかということです。

「無我」は仏教の初関門で、そこを越えれば神経症は必ず消えてしまいます。
さらに奥の深い境地に行くにも初関門は必ず通過する必要があります。ですから、
犬さんが高僧のような境地を目指しているのは立派なことだと思いますが、その場合でも、
先ず初関門を越えることが大切だと思います。
私は初関門を越えただけなので高僧のような境地にはありませんが、それでも神経症で
生きられなかった時に比べれば、自分では劇的に変わったと思っています。

犬さんは非常に人の影響を受けやすいようで、海さんの影響も簡単に受け続けているようですが、
海さんが言っていることは、すべて誰よりも海さん自身に向けて言われるべき内容なので、私は
海さんの書き込みをいつも滑稽に感じています。
(海さんという人は普通の日常生活が全くできない人でありながら、仏陀やキリストも下に見ている
ような人ですから、明らかに神経症とは別の病気を持った人で、本来は神経症の掲示板には場違いの
人なのでしょう。)



[940] Re: 強迫観念とは

投稿者: 投稿日:2018年 5月31日(木)19時11分25秒   通報   返信・引用

> 自分の中にある、可能性(自分、他人)のこと。
> つまり、想像力(創造力)とも言う。
> 自分の中のたくさんの可能性を一つに統合して、選択の余地がない一つの可能性に生きることを、本来、今に生きるという。
> これに生きるようになると、全ての偶然という必然が理解できてくる。
> わたしがやってきた事は、人間を知る=自分を知る=宇宙を知りこの世を知る、という事です。


これは、最低限の短い言葉で、
ものすごく深い真理を表現しているなって思った。

まあ、海さんのことだから、
今さら驚かないけど。


長い間、ずっと、

「もし神経症にさえならなかったら、今頃は…」

みたいな思いを抱えていたのだけど、
だんだんとそういう思いも薄らいできていたところ、
ここに来て、海さんとやり取りするようになったことで、
今はまったくそんな思いが消え去ってしまったような気がする。

今自分が体験している人生以外の人生なんて、ありえなかったんだなあと。

ほんと、全ての偶然は必然だね。



[939] 海さんへ

投稿者: 投稿日:2018年 5月31日(木)19時01分31秒   通報   返信・引用

> 色んな場合あるけど、人ってね、他人の趣味の話とかは、ある意味、聞いても楽しくないものなんだと思う。

あははは。身も蓋もない言い方するね(笑)。
でも、海さんの言う通りだと思う。
ペットの写真や、子供の写真を楽しそうに見せられても、
困ってしまうことも多いもんね。

海さんの言うように、
そういうときって、自分しか見えてない。

ぼくが宗教の話や哲学の話もするときもそうだったのかな。
だとしたら、恥ずかしいね。


> これらは承認欲求だから、ゴタゴタする事もあるよね。

承認欲求はほんとやっかいだね。

ぼくが海さんの言葉の中ですごく感銘を受けた言葉のひとつが、

「承認欲求は無駄な言葉を吐かせる」

ということ。

これはほんとそうだなあと。ぼくの座右の銘にするよ(笑)。


> 自分が何を幸せに感じてるかは、ある意味、他人は全く興味ないものなんだね。

あははは。肝に銘じておく。

> 人って、相手に自分を知ってもらいたいものだから、議論するんだね。

ほんと、その通りだね。
自分を知ってもらいたいだけならともかく、
そこから相手を説得しようとすると、これはもう最悪な事態に突入してしまうような気がするよ。


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